新宮町(読み)しんぐうまち

日本歴史地名大系 「新宮町」の解説

新宮町
しんぐうまち

[現在地名]新宮市新宮・よこ町一―二丁目・うま町一―二丁目・谷王子たにおうじ町・仲之なかの町一―三丁目・ふな町一―三丁目・相筋あいすじ一―二丁目・別当屋敷べつとうやしき町・薬師やくし町・元鍛冶もとかじ町一―二丁目・上本かみほん町一―二丁目・下本しもほん町一―二丁目・大橋おおはし通一―四丁目・しん町一―三丁目・伊佐田いさだ一―二丁目・池田いけだ一―三丁目・阿須賀あすか一―二丁目・蓬莱ほうらい一―三丁目・丸山まるやま熊野地くまのじ一―二丁目・あけぼの・田鶴原たづはら町一―二丁目・王子おうじ町一―三丁目・清水元しみずもと一―二丁目

熊野三山の一つ熊野速玉くまのはやたま神社(熊野新宮)と、同社東方に築かれた丹鶴たんかく(新宮城)を中心に形成された町。紀伊半島中央部を南流する一大動脈熊野川の河口南岸に位置し、西から南にかけては千穂ちほヶ峯(二五三メートル)を主峰とする権現ごんげん山とそれに続く丘陵で、中央部を市田いちた川が東流。古くは熊野灘に面した王子おうじヶ浜沿いに熊野街道大辺路が通じ、阿須賀社の前から速玉社へと通じていたが、のちに町を南北に縦断する形で横町よこまち(現国道四二号)ができると、熊野街道大辺路も横町通と連絡するようになった。人家は丹鶴城・速玉社の間と横町通沿いに集中。

〔築城まで〕

新宮町はもと熊野速玉神社の門前町として発生したと考えられる。速玉神社は町の北西端に鎮座し、南の神倉かんのくら神社、東の阿須賀社とともに古来の聖地であった。修験道の発達とともに本宮・新宮・那智の三山組織が整うと、三山を巡拝する熊野詣が盛んとなり、案内や宿坊を業とする御師・先達が現れて巡拝の道筋に多くの旅宿が設けられた。門前に営まれた御師の宿坊を中心として町場化が進んだが、当地は熊野川上流山地から切出される吉野材・熊野材の集散地で、和歌山から伊勢方面への交通の要所にあたるため、紀南随一の経済都市として発展することになる。熊野三山を統轄する別当家の一が当地に居を置き、近世初頭に熊野七上綱に代わって熊野地方を統治した堀内氏が千穂ヶ峯東麓の全龍ぜんりゆう寺の地に屋敷を構え、関ヶ原の戦ののち紀州に入部した浅野氏やそれを受継いだ徳川氏が城を築いたのも、当地の地理的・経済的位置を重視したためである。

新宮町
しんぐうちよう

面積:九九・五五平方キロ

龍野市によって南北に分断された揖保郡の北部に位置し、北は宍粟郡山崎やまさき町、東は同郡安富やすとみ町・姫路市、南は龍野市・相生市、西は赤穂郡上郡かみごおり町・佐用郡三日月みかづき町と接する。四方を山に囲まれ、揖保川とその支流栗栖くりす川の流域に立地する。揖保川は町の東部をほぼ北から南へ流れ、栗栖川は北部から南西―南―南東へと流れを変え、町の中心部付近で南に転じ、南端付近で揖保川に合流している。揖保川沿いには縄文時代後期・晩期の新宮宮内しんぐうみやうち遺跡・香山こうやま遺跡がある。弥生時代前期では新宮宮内遺跡のほかに曾我井そがい遺跡・馬立うまたて遺跡などがある。

新宮町
しんぐうまち

面積:一八・八七平方キロ

糟屋郡の最北部に位置し、東は古賀市、南は久山ひさやま町、西は福岡市東区、北は玄界灘に面する。町域は立花たちばな(三六七・一メートル)の北麓にあたり、山頂が福岡市東区・久山町との境界をなす。同山のクスノキ原始林は国の天然記念物に指定されている。相島あいのしまは新宮港から北西約七・二キロ、玄界灘に浮ぶ。同島と町域の海岸部は玄海国定公園に含まれる。みなと川と青柳あおやぎ川の二河川は立花山や犬鳴いぬなき(「いんなき」とも読む)山系からの水を集める。立花山麓の独鈷とつこ寺は延暦二四年(八〇五)最澄が唐から帰国した時の開創と伝え、千年家横大路家住宅では最澄が唐から持帰ったという火が、今も絶えることなくともっている。

新宮町
しんぐうまち

[現在地名]新宮町新宮

新宮村の一部が町場化し、武士の居住地である構と商人・職人・農民の居住する新宮町に区分されていた。郷帳類では江戸時代を通じて新宮村の一部として扱われた。享和三年(一八〇三)の新宮町宗門改帳(池田家文書)によると、よこ町・西にし町・坂本さかもと町・蔵之前くらのまえ町・かぎ町・砂子すなご町の六ヵ町で構成されていた。ただし砂子町は井野原いのはら村の一部として扱われる場合がある。町家は武家借地の形で広がり、職人なども相当数住んでいたようである(享和年間「新宮町絵図」田峰家蔵)。新宮村分を除いた当町の家数・人数は天明八年(一七八八)六三軒・二七四人(「巡見使通行入用書付」斉明寺家文書)、天保一三年(一八四二)には四八軒・二三〇人(「御領内村々諸事控」同文書)、慶応四年(一八六八)には六〇軒・二六六人(「揖東郡村々高控帳」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新宮町」の意味・わかりやすい解説

新宮〔町〕
しんぐう

福岡県北西部,玄界灘に面した町。福岡市の北東に接する。北西約 8kmに浮かぶ相ノ島を含む。1954年町制,1955年立花村と合体。米のほかミカン,イチゴを特産する農業と,相ノ島を中心とする沿岸漁業を主としてきた。1960年代に入り国道3号線沿線に多数の工場が進出,1970年頃から住宅地も開かれ都市化が進んだ。立花山にある立花城跡と国指定特別天然記念物の立花山クスノキ原始林,海水浴場として知られる海岸一帯は,ともに玄海国定公園に属する。また九州最古の民家といわれる国指定重要文化財の横大路家住宅がある。遺跡も多く,夜臼遺跡が知られる。JR鹿児島本線,西日本鉄道貝塚線が通る。面積 18.93km2。人口 3万2927(2020)。

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