新義真言宗(読み)シンギシンゴンシュウ

デジタル大辞泉 「新義真言宗」の意味・読み・例文・類語

しんぎ‐しんごんしゅう【新義真言宗】

覚鑁かくばん宗祖とし、大日如来加持身かじしん説法の新義を唱えた真言宗一派根来山ねごろさん大伝法院を本山としたが、のち、智山ちざん豊山ぶざん両派に分かれた。新義派。→古義真言宗

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精選版 日本国語大辞典 「新義真言宗」の意味・読み・例文・類語

しんぎ‐しんごんしゅう【新義真言宗】

〘名〙 仏語覚鑁(かくばん)を宗祖とする真言宗の一派。大伝法院根来(ねごろ)寺(和歌山県那賀郡岩出町)法院を本山とし、加持身説法を一派の眼目とした。天正一三年(一五八五根来寺豊臣秀吉によって焼滅され、豊山・智山の両派に分かれたが、第二次大戦後、根来寺を本山とする新義真言宗が成立。新義派。新義。→古義真言宗。〔寺院条目‐三(古事類苑・宗教八)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「新義真言宗」の意味・わかりやすい解説

新義真言宗 (しんぎしんごんしゅう)

高野山を拠点とする空海以来の真言宗(古義真言宗)に対し,紀州根来(ねごろ)寺に拠った覚鑁(かくばん)を宗祖とする一派。現在は京都智積(ちしやく)院を本山とする真言宗智山派と,奈良県桜井市の長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派が二大宗派で,根来寺は別に新義真言宗本山を称する。

 平安時代末期の僧興教大師覚鑁は,肥前国に生まれ,仁和寺,興福寺,東大寺を経て高野山に登り,鳥羽上皇の絶大な信任を得て,1132年(長承1)山上に大伝法院,密厳(みつごん)院を建立し,また,伝法会料として紀伊国7ヵ荘の寄進を受けた。彼は高野山のさらなる興隆をはかり,真然以来の伝法大会を再興して教学を盛んにし,東寺長者の高野山座主兼摂を排してみずから本寺(金剛峯寺)と末院(大伝法院)の座主に就き,当時大きな影響力をもっていた浄土教に対決して秘密念仏を唱えた。しかしその改革があまりにも急激であったため,東寺長者や金剛峯寺方の僧侶たちの反感を買い,1140年(保延6)ついに本末合戦に敗れて大伝法院方の僧侶たちとともに根来(現,和歌山県岩出市)の地に移った。覚鑁の没後,大伝法院方の僧侶たちは院宣によって帰山したものの,その後も本末の争いは絶えることなく,1288年(正応1)大伝法院学頭頼瑜(らいゆ)(1226-1304)は,大伝法院方の僧侶たちとともに高野山を最終的に退去し,付属の建物を根来の地に移して,根来寺として新たな出発をはかった。頼瑜は加持身教主説を提唱して教学上の新風をうちたて,新義真言宗興隆の基礎を築いた。その後,根来寺は大いに繁栄したものの,1585年(天正13)豊臣秀吉の兵火のために灰燼かいじん)に帰し,難を避けた妙音院専誉(1530-1604),智積院玄宥(げんゆう)(1529-1605)は,長谷寺,智積院をそれぞれ再興し,新義真言宗中興の祖となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新義真言宗」の意味・わかりやすい解説

新義真言宗
しんぎしんごんしゅう

真言宗の一派。古義真言宗に対する。紀州根来寺(ねごろじ)(和歌山県岩出市)を開いた覚鑁(かくばん)(1095―1143)を派祖とし、その後、大和(やまと)長谷寺(はせでら)(奈良県初瀬町)を総本山とする豊山派(ぶざんは)、智積院(ちしゃくいん)(京都東山七条)を総本山とする智山派(ちさんは)とに分かれる。

[宮坂宥勝]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新義真言宗」の意味・わかりやすい解説

新義真言宗
しんぎしんごんしゅう

古義真言宗の対語。新義派ともいう。興教大師覚鑁 (かくばん) を祖とする豊山 (ぶざん) ,智山の両派をいう。覚鑁は保延6 (1140) 年に高野山東寺派の真言宗の主張している大日如来本地法身説に対し,自性加持説を唱えたため分裂し,和歌山県根来 (ねごろ) に退いて一乗山円明寺を開創した。正応1 (1288) 年に覚鑁の血脈を受けている頼瑜は,弟子を率いて高野山に帰ったが,再び弟子とともに退いて根来寺を建立したので,完全な分裂となり,新義真言宗が分立した。根来の法統は,のちに奈良長谷寺の専誉と,京都智積院の玄有に伝わったが,前者を豊山派,後者を智山派と呼ぶ。

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世界大百科事典(旧版)内の新義真言宗の言及

【真言宗】より

…さらに1288年(正応1),大伝法院方の頼瑜は高野山金剛峯寺と袂別(べいべつ)し,大伝法院などを根来の地に移し,根来寺として新たな出発を行った。これがのちの〈新義真言宗〉の成立であり,これに対して従来の系統をのちに〈古義真言宗〉と呼ぶようになる。頼瑜は,金剛峯寺の法性,道範らの教主本地身説に対して,教主加持身説を説いた。…

【根来寺】より

…和歌山県那賀郡岩出町にある新義真言宗の本山。根来山大伝法院と号し,根来寺は通称。…

※「新義真言宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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