新見正路(読み)しんみまさみち

改訂新版 世界大百科事典 「新見正路」の意味・わかりやすい解説

新見正路 (しんみまさみち)
生没年:1791-1848(寛政3-嘉永1)

江戸後期の幕臣。伊賀守,従五位下。通称吉次郎,字は義卿。目付を経て1829年(文政12)4月大坂西町奉行に就任した。在職期間は2年余と短かったが,生計困窮者を救済し,訴訟公正を期し,また市中川筋浚渫(しゆんせつ)に尽力して,いわゆる天保の御救大浚え(さらえ)を実現させ,名奉行とうたわれた。31年(天保2)9月西丸御小姓組番頭格御用御取次見習に栄転し,江戸に帰る。
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朝日日本歴史人物事典 「新見正路」の解説

新見正路

没年嘉永1.6.27(1848.7.27)
生年:寛政3.9.12(1791.10.9)
江戸後期の幕臣で蔵書家。通称は吉次郎。伊賀守。文政12(1829)年大坂西町奉行となり,淀川の大浚い工事の土砂で築かせた天保山は,長く市民の娯楽の場となった。天保12(1841)年に天保の改革が始まると,将軍徳川家慶の側近である御側御用取次となる。水戸藩士藤田東湖が,「誠によき人物,誠実顔色にあらわれ」と評した人柄を見込まれ,将軍と老中の間に立って両者の円滑な意思疎通と機密の保持を求められる御側御用取次に登用されたのである。また,古典教養も深く,蔵書家で邸内に賜蘆文庫を設けた。

(藤田覚)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新見正路」の解説

新見正路 しんみ-まさみち

1791-1848 江戸時代後期の武士
寛政3年9月12日生まれ。幕臣。文政12年大坂西町奉行となり,淀川大さらいをし,河口に天保(てんぽう)山をきずく。西丸小姓組番頭(ばんがしら)格式をへて,天保の改革で将軍徳川家慶(いえよし)の御側御用取次となるが,水野忠邦(ただくに)の失脚とともに罷免される。蔵書家で賜蘆(しろ)文庫をつくる。詩歌にもすぐれた。嘉永(かえい)元年6月27日死去。58歳。字(あざな)は義郷。通称は吉次郎。号は茅山,賜蘆堂。歌集に「賜蘆詠草」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「新見正路」の解説

新見正路 (しんみまさみち)

生年月日:1791年9月12日
江戸時代後期の幕臣;蔵書家
1848年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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