於大の方(読み)おだいのかた

山川 日本史小辞典 改訂新版 「於大の方」の解説

於大の方
おだいのかた

1528~1602.8.28

徳川家康生母。三河国刈谷城主水野忠政の女。法号伝通院(でんづういん)。1541年(天文10)同国岡崎城主松平広忠と結婚。44年,兄水野信元と松平氏対立により離別。51年頃までに尾張国阿古居城主久松俊勝と再婚。1602年(慶長7)家康の勧めで上洛し,後陽成(ごようぜい)天皇に謁した後,病にかかり伏見城で没。江戸小石川の伝通院に葬られる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「於大の方」の解説

於大の方 おだいのかた

伝通院(でんつういん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の於大の方の言及

【伝通院】より

…徳川家康の生母,於大(おだい)の方。伝通院はその法号。…

【伝通院】より

…1415年(応永22)了誉聖冏(しようげい)が小石川極楽水に小庵を結び,無量山寿経寺と号したのが始まりで,聖冏を開山とする。その後戦火をこうむり衰廃していたが,1602年(慶長7)徳川家康の生母於大(おだい)の方が上洛中伏見で亡くなると,遺言により遺骸を当寺に移し,増上寺の中興源誉存応(ぞんのう)を導師として葬送の法会が行われた。このとき,於大の法号伝通院殿をもって寺号を改めたといわれるが,一説には,寺号を法号としたともいう。…

【徳川家康】より

…幼名は竹千代。父は岡崎城主松平広忠,母は刈谷城主水野忠政の娘(於大の方(おだいのかた),法号伝通院(でんづういん))。広忠は駿河の大名今川義元の勢力下で尾張古渡(ふるわたり)城主織田信秀と対立していたが,その渦中で於大の方の兄水野信元が今川氏に背いて織田氏と結んだので,於大の方は3歳の竹千代を残して離別され,まもなく尾張阿古居城主久松俊勝に再嫁し,竹千代19歳のときまで会うことがなかった。…

※「於大の方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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