日出町(読み)ひじまち

日本歴史地名大系 「日出町」の解説

日出町
ひじまち

面積:七三・一七平方キロ

国東くにさき半島の着根部に位置し、東は別府湾に臨み、西は宇佐郡安心院あじむ町、南は別府湾および別府市、北は山香やまが町、北東は杵築きつき市。町の北西部には唐木からき(五九九・七メートル)鳥屋とや(五九〇・一メートル)尼蔵にぞう(四五八・八メートル)を主峰とする鹿鳴越かなごえ山塊があり、その高原地帯に南畑みなみはた地区、南麓の扇状地豊岡とよおか地区、東麓の海岸部に日出地区、北部の東麓に藤原ふじわら地区が位置する。この山塊は第四期更新世中期の筑紫溶岩の鹿鳴越火山岩からなり、南部山麓には松山―伊万里線の断層が東西に走る。町の東部は標高二〇―三〇メートルの丘陵が続き、川崎かわさき地区・大神おおが地区・真那井まない地区が位置する。この丘陵は第四紀更新世初期の海成層で形成されている。交通路はJR日豊本線が別府市から海岸を北進、豊後豊岡駅・暘谷ようこく駅を経由して日出駅に至り、北東に方向を転ずる位置に大神駅があり、その後杵築市の杵築駅に至る。その後西に方向を変え八坂やさか川に沿って北西に進んで再び日出町に入り、藤原地区赤松あかまつを通り山香町に抜ける。国道一〇号は日豊本線に並行に別府市から北上、日出町のほりに至って国道二一三号を分岐、さらに北上して赤松峠を越えて赤松に至り、再び日豊本線と並行して山香町に入る。国道二一三号は堀から北東に向かい、藤原地区会下えげで空港自動車専用道路を分岐させ、大神地区から杵築市に至る。空港自動車専用道路は会下から藤原地区の相原あいわらを抜け杵築市を経て大分空港に通じる。町の西端には大分自動車道が走り、十文字原じゆうもんじばるのインターチェンジから北大道路の日出ジャンクションを経由して北九州につながる。気候は温暖な瀬戸内海型気候である。

当町域の旧石器時代から弥生時代までの遺跡は約一〇〇ヵ所を超える。川崎地区の早水台そうずだい遺跡は旧石器時代前期から縄文時代早期の遺跡で、昭和三九年(一九六四)の調査で旧石器が発見されている。同地区の橋詰はしづめ遺跡では瀬戸内海の福田II式土器が発見され、縄文時代後期の当地域の特殊性が注目された。日出地区の薬師やくし遺跡では縄文時代晩期の三万田式土器とともに印文陶の破片が出土している。弥生時代に入ると藤原地区の大津おおづ遺跡がある。前期から中期にかけての遺跡で、広鋒銅戈が二振り発見された。古墳は直弧文を施した鹿角製装具付の刀子の出土した鰐沢わにざわ古墳(鰐沢は地元では「わんぞう」ともよぶ)や横穴石室のある藤原地区安養寺あんようじ経塚きようづか古墳などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日出町」の意味・わかりやすい解説

日出〔町〕
ひじ

大分県北東部,国東半島の基部,別府湾北岸にある町。 1889年町制。 1954年豊岡町および藤原,川崎,大神の3村と合体。 56年南端村の一部を編入。中心集落の日出は慶長6 (1601) 年以降幕末まで木下氏の城下町豊前街道宿場町として発達。周辺では米作,ミカン,野菜の栽培が行われる。江戸時代の儒者帆足万里の墓,天然記念物の松屋寺ソテツがある。城跡下の海で育つ城下かれいは有名。 JR日豊本線と国道 10号線,213号線が通じる。面積 73.32km2。人口 2万7723(2020)。

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