日本アンデパンダン展(読み)にほんアンデパンダンてん

改訂新版 世界大百科事典 「日本アンデパンダン展」の意味・わかりやすい解説

日本アンデパンダン展 (にほんアンデパンダンてん)

第2次大戦後催されたアンデパンダン展,すなわち無審査自由出品形式の展覧会の名称通称〈アンパン〉。同一名称で,二つが知られる。一つは1947年12月に日本美術会主催で始まったもの,もう一つは49年2月に読売新聞社主催で始まったもの(通称〈読売アンデパンダン展〉)である。前者には主として社会派的傾向の強い作家が集い,現在も年1回開かれている。これに対して,後者は海外の諸動向の紹介に努める一方で,60年前後の〈反芸術〉のころまで常に若手作家の登場と活躍の舞台となり,戦後日本の美術のなかできわめて大きな役割を果たした。しかし,第15回展(1963)を最後に64年1月読売側の通達によって終結。ほかに戦後のアンデパンダン展では,57年3月に始まった京都市主催の〈京都アンデパンダン展〉が,60年代末以降若手作家の発表の場として重きをなした。
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世界大百科事典(旧版)内の日本アンデパンダン展の言及

【ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ】より

…1960年,読売アンデパンダン展(日本アンデパンダン展)に出品する赤瀬川原平,荒川修作,風倉匠(省作),篠原有司男,吉村益信ら,20歳代の青年が結成した反芸術的集団。同年4月,第1回展(銀座画廊)開催。…

【パフォーマンス】より

…パフォーマンスを行うグループや場所は流動的であり,61年にジョージ・マチューナスGeorge Maciunasがパフォーマンスの専門誌を作るために考え出した〈フルクサスFluxus〉(雑誌は実現しなかった)は,やがて当時のパフォーマーを横断的に結びつける国際的な組織の名になったが,ラテン語で〈流れ〉を意味するfluxusと英語のflux us(われわれを融合する)とをかけたこの語は,当時のパフォーマーの流動的な関係にふさわしいものであった。このことは,ニューヨーク美術界の刺激を受けて活気づいていた〈読売アンデパンダン展〉(日本アンデパンダン展)出品作家たちの活動と,ケージに学んだ一柳慧(いちやなぎとし)や小野洋子らの媒介でしだいに日本にも形成されはじめたさまざまな芸術グループにもあてはまる。ともに1960年創立の〈グループ音楽〉(小杉武久,刀根康尚,塩見千枝子ほか),〈ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ〉(篠原有司男(うしお),吉村益信,風倉省作ほか),62年10月の車中パフォーマンス《山手線事件》や63年5月の街頭パフォーマンス《第一次ミキサー計画》のメンバーによる〈ハイレッド・センター〉(赤瀬川原平,中西夏之,高松次郎ほか)などは,互いに相互関係をもっただけではなく,〈暗黒舞踏〉の土方巽(ひじかたたつみ)や実験映画グループ〈ヴァン映画科学研究所〉(足立正生ほか)などとも,また海外の〈フルクサス〉とも横断的な関係をもった。…

※「日本アンデパンダン展」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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