世界大百科事典(旧版)内の日本ボクシング・コミッションの言及
【ボクシング】より
…そのかたわら,東洋フェザー級チャンピオンと称した堀口恒男(ピストン堀口,1914‐50)の連打につぐ連打の戦法が人気を集め,だんだんと大衆の認知を得るようになった。 戦後の47年に全日本ボクシング協会が設立され,欧米と同じようなチャンピオン争奪システムが確立,52年には日本ボクシング・コミッションが設立され,オフィシャルな形で試合は管理されるようになった。この52年には白井義男(1923‐ )が日本人として初めて世界チャンピオン(フライ級)となり,昭和30年代のいわゆる高度成長期にはテレビの普及とともに,野球や相撲に次ぐ人気スポーツになった。…
※「日本ボクシング・コミッション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」