日本平民党(読み)にほんへいみんとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本平民党」の意味・わかりやすい解説

日本平民党
にほんへいみんとう

明治時代の社会主義政党。1906年(明治39)1月に組閣された第一西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の穏健策を見越し、西川光二郎(みつじろう)と樋口伝(ひぐちでん)が1月14日に結社届を出し受理される。綱領は「普通選挙ノ期成ヲ計ルヲ目的トス」という1条だけで、「社会主義」の文字と要求は避けた。同党の許可をみたため、堺利彦(さかいとしひこ)と深尾韶(ふかおしょう)が「日本社会党」の結社届を出し、これも受理された。両党は2月24日に合同、「国法ノ範囲内ニ於(おい)テ社会主義ヲ主張ス」という綱領をもつ日本社会党へと発展解消した。社会主義者荒畑寒村(あらはたかんそん)は、日本平民党は日本社会党の「瀬ぶみ」として結成されたと述懐している。

[成田龍一]

『中村勝範著『明治社会主義研究』(1966・世界書院)』『太田雅夫著『明治社会主義政党史』(1971・ミネルヴァ書房)』

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本平民党」の解説

日本平民党
にほんへいみんとう

明治時代に成立した日本最初の合法的社会主義政党
桂太郎内閣に代わって自由主義的な西園寺公望 (きんもち) 内閣が成立すると,1906年1月,西川光二郎らは日本平民党,堺利彦らは日本社会党の結社届を出し,共に受理され,2月日本社会党第1回大会で合同した。翌'07年2月,日本社会党が結社禁止とされたのち,片山潜らが日本平民党の結社届を提出したが禁止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本平民党」の解説

日本平民党
にほんへいみんとう

明治末期の合法的社会主義政党。リベラルと目された第1次西園寺内閣の成立を機に,1906年(明治39)1月,西川光二郎(みつじろう)・樋口伝が結党届を提出し,受理された。普通選挙制度の実現を第一の目標として活動したが,日本社会党が結成されると合流した。

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世界大百科事典(旧版)内の日本平民党の言及

【日本社会党】より

…明治期のものと戦後から現在までのものの二つがある。(1)1906年(明治39)1月14日西川光二郎らが普通選挙の期成を目的に掲げて結党した日本平民党と同28日に堺利彦らが結党届を出して許された日本社会党が,2月24日合同大会を開いて正式に発足した政党。同党は規約第1条で〈本党は国法の範囲内に於て社会主義を主張す〉とうたい,1901年の社会民主党平民社の議会主義的立場を継承し,結党以前から刊行されていた《光》が機関紙となった。…

※「日本平民党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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