日用座(読み)ひようざ

改訂新版 世界大百科事典 「日用座」の意味・わかりやすい解説

日用座 (ひようざ)

日傭座とも書く。江戸幕府が江戸市中で日傭(日雇日用)人を取り締まるために設けた機関。1665年(寛文5)に幕府が令したものであるが,それ以前の1653年(承応2)に,幕府は日傭人に頭から日傭札を受けることを命じて日傭人の取締りをはかっており,それを一段と強化したものである。最初は箔屋町の安井長左衛門,辻勘四郎の2人に日用座を命じ,鳶口,手子(てこ)の者,米舂(こめつき),背負(せおい),軽子(軽籠)などの日傭人がその対象となった(その後,駕籠かきや公儀の日傭者,通日雇(とおしひやとい)などへと拡大した)。日傭人は日用座へ1ヵ月24文の札役銭札銭)を支払って札(日用札)を受け取り,傭価の指示に従う定めであった。このように日用座は行政的・警察的性格より出発したが,請負制としたため株的な権利所有者の呼称をも加味していた。日用座の請負人は通常自己の居住するところを日用座会所としたため,請負人の移動にともなって日用座会所の所在地は変更をみた。日用座には請負人のほか相仕,金元,証人や若干の手代がいて,札役銭の徴収等にあたった。

 日用座の機能は日傭者取締りのため日用札を通じての彼らの監督・統制,日傭者および諸日用請負人への傭価の指示,札役銭の徴収(75~100両を幕府に上納),御舂屋の御用人足の請負などである。日傭者のうち米舂,軽子,背負は2ヵ月に1度あて御舂屋で御用人足として労役に服した。そのほか座へ臨時に御用人足を命じられることがあり,その人足賃は請負人の負担であったため,その負担にたえかねて請負人が日用座を辞退することもあった。御用人足を提供するための人足賃は札役銭の徴収によって賄われていたので,札役銭の徴収が十分でないと御用人足の提供に支障をきたし,札役銭の徴収は一時町年寄の奈良屋扱いとなったこともあった。1797年(寛政9)8月,日用座は廃止された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日用座の言及

【奉公人】より

… 武家奉公は中世の末期まで譜代奉公をもって本来の姿とした。しかし,近世に入るとそれは漸次人宿(ひとやど)(口入屋(くちいれや),桂庵(けいあん)),日用座(ひようざ)を通じて雇用される百姓,町人による給金めあての一季(いつき),半季の出替(でがわり)奉公や月雇(つきやとい),日雇へと移りかわっていった。江戸幕府は慶長(1596‐1615)のころから一季奉公をしきりと禁じ(これは一季奉公人の多くあったことを示すものであろう),軍役の確保のため譜代奉公の維持につとめた。…

※「日用座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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