日田(市)(読み)ひた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日田(市)」の意味・わかりやすい解説

日田(市)
ひた

大分県西部、日田盆地とその周辺山地を市域とする市。1940年(昭和15)日田郡日田町と三芳(みよし)、光岡(てるおか)、高瀬(たかせ)、朝日(あさひ)、三花(みはな)、西有田(にしありた)の6村が合併して市制施行。1955年同郡東有田、小野(おの)、大鶴(おおつる)、夜明(よあけ)、五和(ごわ)の5村を編入。2005年(平成17)日田郡前津江村(まえつえむら)、中津江村(なかつえむら)、上津江村(かみつえむら)、大山町(おおやままち)、天瀬町(あまがせまち)を編入。市名は古代以来の郡名にちなむ。JR久大(きゅうだい)本線・日田彦山(ひこさん)線、国道210号、211号、212号、386号、387号、442号が通じ、大分自動車道の日田インターチェンジなどがある。中心の日田は隈(くま)、豆田(まめだ)の二つの城下町が結合したもので、1632年(寛永9)以降、総じて幕府の直轄領(一時大名預所(あずかりどころ))となり、1767年(明和4)西国筋(さいごくすじ)郡代役所が置かれた。城下の商人は、盆地産物の川下しを行い、郡代御用商人として、また諸藩に対する金融によって富を積んだ。周囲に日本屈指の日田杉の美林を控え、製材履き物・家具・漆器などの木工業が盛ん。広瀬淡窓(たんそう)の咸宜園(かんぎえん)跡・墓(国史跡)、郡代役所のあった月隈城跡(つきくまじょうあと)、国指定重要文化財の仏像8体を有する永興寺(ようこうじ)など観光資源が多い。1960年温泉掘削に成功、亀山(きざん)公園(日隈城跡(ひのくまじょうあと))付近の旅館街にも給湯されている。夏には三隈(みくま)川の船遊びや鵜飼(うかい)を楽しむ客が多い。小鹿田(おんた)の皿山(さらやま)は素朴な民芸品小鹿田焼で知られ、10戸の窯元(かまもと)がある。創始は1705年(宝永2)筑前国朝倉郡小石原(こいしわら)村(現、福岡県東峰村)から伝えられたという。1970年小鹿田焼陶芸館が開設されている。面積666.03平方キロメートル、人口6万2657(2020)。

[兼子俊一]

『日田市明治百年記念事業推進委員会編『天領であった日田市百年の歩み』(1968・日田市)』


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