日輪寺(読み)にちりんじ

日本歴史地名大系 「日輪寺」の解説

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]山鹿市杉

日輪寺山(一三〇メートル)南麓に位置する。医福山円通院と号する。曹洞宗、本尊は釈迦如来。正平一三年(一三五八)の梵鐘銘には「開基年久」とあり、堂宇などが荒廃したために天菴懐義が中興し、銅銭一〇〇貫文をもって鋳たとある。「国誌」所載の永享六年(一四三四)一二月二一日の菊池持朝が裏書をする日輪禅寺建立次第によると、天慶三年(九四〇)国司藤原房為が皇昭に令して建立した七大伽藍寺の一つとあり、「日本洞上聯燈録」では正和五年(一三一六)菊池武時が天台寺院であった日羅寺を再興して懐義を請じ、延元二年(一三三七)後醍醐天皇から扁額を賜って医福山日輪興国禅寺と改めたという。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]大子町上野宮

八溝嶺やみぞみね神社の南側斜面、約一キロ下に位置する。天台宗八溝山と号し、本尊は十一面観世音菩薩。寺伝は七世紀後半に役小角の創建と伝え、大同二年(八〇七)空海が再興、仁寿二年(八五二)円仁が堂宇を増築したという。福島県東白川郡棚倉たなぐら八槻やつき都々古別つつこわけ神社にある木造十一面観音像の台座銘によると、天福二年(一二三四)にはすでに八溝山観音堂があった。

寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)は、山伏として「八溝山観音別当 八溝山日輪寺善蔵坊」「大同二年丁亥八溝山観音灌頂仕」とあり、御朱印の内高二石余を有した。明和八年(一七七一)の「坂東三十三所観音霊場記」には「弘法大師此嶺ニ於テ、日想観ニ住シ玉ヘバ、山上ニ日輪現前シテ、一ツ山全ク一輪相トナス。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]箕輪町大字東箕輪 南小河内

南小河内みなみおごうち村の東、知久沢ちくさわ川の南の山麓台地上に建つ。真言宗知久沢山諏訪仏法寺(現諏訪市四賀)末山。本尊不動明王。「上伊那郡史」によれば、

<資料は省略されています>

とある。現在境内には堂塔伽藍の跡地が大小いくつも残り、湧水が多く稚児池や姥池が残っていて往時がしのばれる。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]春日井市二子町二丁目

光雲山と号し、天台宗山門派。本尊は地蔵菩薩。寺伝によれば、創建は万治三年(一六六〇)で、秀栄が建立した。満願まんがん寺といい味鋺あじま(現名古屋市)にあったが、中小田井なかおたい(現名古屋市)願王がんのう寺の主僧秀栄が現在地に移し、天台宗日輪寺とした(徇行記)。寺伝によると本尊は、天文年中(一五三二―五五)の洪水で流されて来て、和爾良かにら朝宮あさみやの森の下にあったものを、十五じゆうご(現味美知多町)の小庵に移しそこを地蔵堂と称した。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]桜村金田

真言宗豊山派、摩尼山正智院と号し、本尊は虚空蔵菩薩。日輪寺法流血脈によると、醍醐寺遍智院僧正成賢の法流で、成賢流を伝えた親快が「日輪寺法流正授」といわれ、それから九世のちの祐弁が当寺第一祖とされている。祐弁は大岩田おおいわた(現土浦市)法泉ほうせん寺七世祐尊の法弟で、寛正二年(一四六一)権律師となり、同四年田中たなか郷薬師堂別当職に補任されている(日輪寺文書)

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]文京区小日向一丁目

神田上水の北岸、善仁ぜんにん寺の東隣に位置。慈照山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。寺伝によると寛永年中(一六二四―四四)用鶴を開山として創立したという。当寺境内は善仁寺境内と並行するが、北側では善仁寺境内の背後に突き出るような形になっている。この突出部に小日向こびなた郷の総鎮守で、太田道灌中興と伝える氷川明神を祀っていた。当寺の境内も元来は同明神の社地であったと伝える。なお同社の別当寺は古く善仁寺であったが、のち当寺に譲られたという。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]西区玉津町小山

櫨谷はせたに川西岸にある天台宗寺院。普光山と号する。寺記によると行基の開基、本尊の千手観音は行基作と伝える。寺の近くの菩薩ぼさつ池は行基が灌漑用に築いたといわれる。慶長国絵図に「日輪寺」とみえる。本堂の額は雪村友梅筆(明石記)。明石郡三十三所巡礼第二二番札所。講堂・食堂・五重塔などが建てられ国家泰平祈願の道場として栄えたが、元徳三年(一三三一)山崩れで講堂が大破。

日輪寺
にちりんじ

[現在地名]久留米市京町

京隈きようのくま小路にある。臨済宗妙心寺派。山号は海東山。本尊は聖観音であるが、寛文十年寺社開基では地蔵とする。有馬氏入封以前にあった寺院で、元和七年(一六二一)有馬豊氏が久留米城二の丸築造にあたって現在地に移転させた(同開基)。境内の観音堂も二の丸にあったもので、文禄年間(一五九二―九六)キリシタンである毛利秀包の迫害を避けるため当寺の文叔が高良こうら山に隠し、のち当寺に安置したが、寛永二〇年(一六四三)二代藩主有馬忠頼から京隈山を拝領、観音堂が再建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

防府市歴史用語集 「日輪寺」の解説

日輪寺

 桑山八幡宮[くわのやまはちまんぐう]にあった社坊[しゃぼう]の1つです。明治時代になって、廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]という仏教を排除する動きによって、取りつぶされてしまいました。 寺とは別に、境内には経塚[きょうづか]がつくられていたようで、江戸時代の終わりに見つけられました。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

デジタル大辞泉プラス 「日輪寺」の解説

日輪寺〔茨城県〕

茨城県久慈郡大子町にある寺院。天台宗。山号は八溝山、本尊は十一面観世音菩薩。7世紀後半に役小角(えんのおづぬ)が創建、大同年間に空海が再興したと伝わる。寛永年間、明治年間にいずれも火災で堂宇を失うが、再建され現在に至る。坂東三十三観音第21番札所。

日輪寺〔熊本県〕

熊本県山鹿市にある曹洞宗の寺院。日輪寺山の南麓に位置する。山号は医福山、院号は円通院。本尊は釈迦如来。赤穂浪士の遺髪を祀る遺髪塔がある。裏山は公園として整備されており、桜やツツジの名所として知られる。

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