日野原重明(読み)ひのはらしげあき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日野原重明」の意味・わかりやすい解説

日野原重明
ひのはらしげあき

[生]1911.10.4. 山口,山口
[没]2017.7.18. 東京,世田谷
医師。聖路加国際病院名誉院長。一貫して平和の尊さや命の大切さを説いた。メソジスト教会牧師の二男として生まれ,7歳のときに受洗。少年時代に母親の命を医師に救われたことから医師を志した。関西学院中等部から旧制第三高等学校(現京都大学理科を経て,1932年京都帝国大学医学部に進む。1937年卒業し循環器内科に入局,1939年同大学院博士課程に進み,心臓病学を専攻。1943年に医学博士号を取得。その間,1941年から聖路加国際病院に勤務。1945年には志願して軍医となる。戦後は,1951年聖路加国際病院内科医長に就任アメリカ合衆国エモリー大学へ 1年間留学病理を身体だけでなく心や環境まで含めた包括的な観点から解明するホリスティック医療にふれ,影響を受ける。帰国後,予防医学の重要性を説き,1954年民間医療機関としては初の人間ドックを同病院内に開設した。1970年代には,成人病と呼ばれていた脳卒中や心臓病,糖尿病などを「習慣病」と呼び替えるよう提唱,生活習慣を改善することで予防できることを訴えた。1974年聖路加看護大学学長,1992年聖路加国際病院院長,1996年同名誉院長,理事長に就任。2014年に 102歳で理事長を退くまで現役として活躍した。1970年のよど号ハイジャック事件乗客として遭遇,4日間拘束された体験をもつ。1995年の地下鉄サリン事件では院長として指揮をとり,外来診療などを中止して無制限に被害者を受け入れると決断,多くの被害者を救った。『生き方上手』(2001)など多数の著作がある。1999年文化功労者,2005年文化勲章受章。

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知恵蔵mini 「日野原重明」の解説

日野原重明

医師。1911年、山口県生まれ。京都帝国大学(現・京都大学)医学部卒業。41年に聖路加国際病院の内科医となり、米エモリー大学医学部への留学を経て、同院の院長、理事長、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)学長などを歴任した。患者主体の医療や、医療関係者の力を総合した「チーム医療」の重要性を訴え、看護師の育成に力を注いだ。54年に民間病院として初めて人間ドックを導入、「生活習慣病」の概念を提唱するなど、予防医学の発展にも尽力した。終末期医療の充実にも取り組み、93年には国内初の独立型ホスピスを設立した。また、小学生を対象とした「いのちの授業」を続け、老いのあり方を説いた著書『生きかた上手』(ユーリーグ、現・ハルメク)がベストセラーになるなど、講演や執筆でも活躍した。99年に文化功労者に選ばれ、2005年に文化勲章を受章。100歳を過ぎても現役医師として多彩な活動を続けてきたが、17年7月18日、呼吸不全で死去した。享年105。

(2017-7-19)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野原重明」の解説

日野原重明 ひのはら-しげあき

1911- 昭和-平成時代の医学者。
明治44年10月4日生まれ。昭和16年東京築地の聖路加(せいろか)国際病院にはいり,内科医長をへて,49年聖路加看護大学長。のちライフ・プランニング・センター理事長,聖路加国際病院理事長,聖路加看護学園理事長。医学・看護学教育につくし,生活習慣病の予防やホスピス医療で知られる。平成11年文化功労者,17年文化勲章。山口県出身。京都帝大卒。著作に「命をみつめて」など。

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