日露講和条約(読み)にちろこうわじょうやく

山川 日本史小辞典 改訂新版 「日露講和条約」の解説

日露講和条約
にちろこうわじょうやく

1905年(明治38)9月5日に調印された日露戦争の講和条約。アメリカのポーツマスで調印されたことからポーツマス条約ともいう。奉天の会戦以来日本軍にはこれ以上の大作戦を行う国力がなく,4月に講和条約大綱を閣議決定し,日本海海戦の勝利を機に,6月T.ローズベルト米大統領に講和斡旋を依頼した。8月10日から講和会議が開催され,日本は小村寿太郎外相,ロシアはウィッテ全権。樺太割譲と償金問題で難航したが,日本は償金と北樺太を放棄し妥協が成立した。内容は韓国における日本の政治・軍事・経済上の優越権および保護権の承認,日露両国軍の撤退期限,遼東半島南部の租借権と長春以南の東清鉄道の清国の同意を得ての日本への譲渡,南樺太の割譲,沿海州における日本人漁業権の承認など。調印の日,無償金講和に対し講和反対国民大会が東京の日比谷で開かれ,焼打事件が勃発,全国に波及した。

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百科事典マイペディア 「日露講和条約」の意味・わかりやすい解説

日露講和条約【にちろこうわじょうやく】

ポーツマス条約

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世界大百科事典(旧版)内の日露講和条約の言及

【日露戦争】より

…アメリカのポーツマスで8月10日から講和会議が開かれ,29日まで十数回の会談が続けられた。日本側が要求した賠償金と領土割譲をロシア側は受け入れず,交渉は難航したが,最終段階でロシア側が譲歩して決着がつけられ,9月5日両国全権の間で日露講和条約(ポーツマス条約)の調印が行われた。その内容は,ロシアが日本の韓国に対するいっさいの指導権を承認し,旅順,大連の租借権と長春以南の鉄道ならびに付属利権を日本に譲渡すること,さらに北緯50゜以南の樺太を割譲し,沿海州とカムチャツカにおける日本の漁業権を認めるというものであった。…

※「日露講和条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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