旭山法暘(読み)きょくざん・ほうよう

朝日日本歴史人物事典 「旭山法暘」の解説

旭山法暘

没年弘治3.7.10(1557.8.4)
生年:生年不詳
戦国時代臨済宗の尼。小弓御所足利義明の娘。天文7(1538)年,義明が下総国(千葉県)国府台の戦で敗死したあとに出家したとみられ,鎌倉尼五山第2位の松ケ岡東慶寺に入寺。一旦,扇谷の智岸寺に隠居したが,再び帰住した。寺伝では東慶寺17世住持とされる。姉に太平寺住持で,のちに里見義弘の妻となった青岳がいる。<参考文献>『東慶寺文書』『相州鎌倉松岡過去帳』『鎌倉市史社寺編』,井上禅定『駈込寺東慶寺史』

(牛山佳幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「旭山法暘」の解説

旭山法暘 きょくざん-ほうよう

?-1557 戦国時代の尼僧
臨済(りんざい)宗。鎌倉東慶寺17世。小弓御所(おゆみごしょ)足利義明(よしあき)の娘。天文(てんぶん)7年下総(しもうさ)国府台(こうのだい)の戦いで父が敗死したのち出家したという。弘治(こうじ)3年7月10日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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