明円(読み)みょうえん

精選版 日本国語大辞典 「明円」の意味・読み・例文・類語

みょうえん ミャウヱン【明円】

平安末期・鎌倉初期の円派仏師。京都、奈良を中心に活躍した。大覚寺の五大明王像が残る。大仏師法眼明円。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「明円」の意味・読み・例文・類語

みょうえん〔ミヤウヱン〕【明円】

[?~1199]平安末期・鎌倉初期の円派の仏師。慶派の台頭した時期にあって、円派の伝統的な彫刻様式を伝えた。大覚寺の五大明王像などの作品がある。めいえん

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「明円」の意味・わかりやすい解説

明円
みょうえん
(?―1199)

平安後期から鎌倉初期にかけて活躍した円派(えんぱ)の仏師(ぶっし)。「めいえん」とも読む。忠円の子で、1166年(仁安1)故関白藤原基実(もとざね)法事阿弥陀(あみだ)三尊をつくったのをはじめ、主として宮廷、藤原氏関係の造仏に携わり、早くから僧の高位である法印位に上り、院派の院尊と並んで権勢を振るった。治承(じしょう)の乱(1180)後の興福寺復興にあたっては金堂大仏師(だいぶっし)となって完成させたが、このとき院尊や慶派(けいは)の成朝(せいちょう)と競り合った話は有名である。代表作には1176年(安元2)に七条殿弘御所でつくった現大覚寺蔵の五大明王像五躯(く)があるが、伝統的な古様を踏まえ、忿怒(ふんぬ)相ながらも優雅な姿をもった巧みな円熟境地を示す作品で、時代の要求ともいうべき写実性も加味されており、注目される。1179年(治承3)の晩秋に三条南京極(きょうごく)東の留守宅に強盗が入り妻と弟子が殺されているが、その家が三条にあったことは、のちに明円の系統が三条仏所とよばれたことと関連すると思われ、また弟子がその家にいたことは当時の仏師の生活を知る史料として興味深い。明円のあと円派は人を得ず、慶派に圧倒されていった。

[佐藤昭夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「明円」の解説

明円

没年:正治1頃(1199)
生年:生年不詳
平安末・鎌倉初期の円派系仏師。忠円の子。仁安1(1166)年に法橋として阿弥陀三尊像を造ったのをはじめ,承安4(1174)年には蓮華心院の造仏により法眼に叙された。その後,治承4(1180)年の平重衡による南都焼討ちで焼失した興福寺の復興事業に円派一門を率いて参加し,造仏界の長老として中金堂の本尊釈迦如来坐像を担当したが,建久5(1194)年にはその造仏賞を弟子の宣円に譲っている。このほか,安産や病気平癒の祈願など宮廷関係の造像をよく行った。現存作品としては,安元2(1176)年の京都・大覚寺五大明王像があり,その洗練された彫技による破綻のない表現は,定朝様の正系を受け継ぎ,さらに院政期彫刻の優美な表現に独特の柔軟さを加えた円熟の境地を示している。康慶・運慶一派の新たな写実様式が台頭してきたなかで,伝統的な作風を堅持する旧派の巨匠として,その威信を守った人物とみなされる。なお,大覚寺像の墨書銘に明円が「造進」するとみえるのは,当時盛んであった成功の一例と解される。<参考文献>小林剛「三条仏師明円」(『日本彫刻作家研究』),水野敬三郎「院政期の造像銘記をめぐる二,三の問題」(『美術研究』295号)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「明円」の意味・わかりやすい解説

明円 (みょうえん)
生没年:?-1199(正治1)

平安後期から鎌倉初期の円派仏師。1174年(承安4)蓮華心院の造仏賞として法眼になる。院派仏師の院尊とともに南都の復興に活躍し興福寺金堂の本尊をつくる。現存する作例には大覚寺の五大明王像(1177)がある。作風は洗練された彫技と柔らかな肢体表現が藤原様を守ろうとする円派の傾向を色濃く見せている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明円」の意味・わかりやすい解説

明円
みょうえん

[生]?
[没]建久10(1199)頃
平安時代後期~鎌倉時代初期に活躍した円派の代表的仏師。院派院尊と並び京都の造仏界に勢力を有した名匠。忠円の子。承安4 (1174) 年蓮華心院の造仏賞で法眼に叙される。安元2 (76) 年に藤原経房のために『阿弥陀像』,同年大覚寺現存の『五大明王像』を造立した。治承5 (81) 年興福寺造仏について院尊と争い,建久2 (91) ~5年には興福寺金堂の諸尊像を造立した。作風は優美な伝統的和様を特色とした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「明円」の意味・わかりやすい解説

明円【みょうえん】

〈めいえん〉とも。平安末〜鎌倉初めに京都で活躍した円派(えんぱ)の仏師。南都の復興に活躍した。作品は京都の大覚(だいかく)寺に木彫〈五大明王像〉(1176年ごろ)が残る。5像とも70cm以下の小像で,古い和様の伝統をよく伝える優作。
→関連項目康慶

明円【めいえん】

明円(みょうえん)

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「明円」の解説

明円 みょうえん

?-1199 平安後期-鎌倉時代の仏師。
円派(えんぱ)の代表者で,院派の院尊とならぶ京都仏師の長老。治承(じしょう)5年(1181)南都炎上後の興福寺の復興に際し,奈良仏師の成朝(せいちょう)らの異議をおさえて金堂本尊の造仏を担当した。正治(しょうじ)元年死去。現存作に京都大覚寺の木造五大明王像。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の明円の言及

【円派】より

…名前に〈円〉をつけるのが普通である。平安時代には院派とともに皇家や貴族の造仏に当たることが多く,ことに12世紀前半の彫刻界は円勢一門の長円,賢円らを中心に展開した観があり,その後も明円(みようえん)など一流の仏師を輩出した。ことに長円は清水寺別当という高位を得たこともあった。…

※「明円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android