明十三陵(読み)みんじゅうさんりょう(英語表記)Míng shí sān líng

改訂新版 世界大百科事典 「明十三陵」の意味・わかりやすい解説

明十三陵 (みんじゅうさんりょう)
Míng shí sān líng

中国,北京市の昌平県にある明の13帝の陵墓。天寿山下にあり長陵(成祖),献陵(仁宗),景陵(宣宗),裕陵(英宗),茂陵(憲宗),泰陵(孝宗),康陵(武宗),永陵(世宗),昭陵穆宗),定陵(神宗),慶陵(光宗),徳陵(熹宗),思陵(思宗)の13陵をさす。総面積40km2。総門に当たるのが五門からなる白大理石の大牌楼(ぱいろう)で,それから大紅門,碑亭,華表,石人,石獣の列立する7kmの参道をへて長陵に達する。これは13陵中規模最大で,南北線上に陵門,碑亭,稜恩門,稜恩殿,明楼,宝城が並ぶ。稜恩殿は祭祀のための本殿,宝城は墳墓そのもので,他も規模は小さいがだいたい同様の構成である。定陵は神宗万暦帝が生前22歳のときから6年をかけて完成したもの。定陵は1956-57年に発掘調査が行われた結果,地下はアーチ造の5室から成り,中殿には皇帝と2人の皇后の宝座,後殿には三つの棺が安置されていることがわかった。今日,地下宮殿として一般公開されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明十三陵」の意味・わかりやすい解説

明十三陵
みんじゅうさんりょう
Ming shi-san-ling

中国北京市北郊昌平県にある明朝の王陵群。第3代成祖永楽帝は都を北京に移し,永楽7 (1409) 年天寿山麓に長陵の営造を開始した。以降第 17代毅宗崇禎帝まで,第7代代宗を除く 13代の帝王陵がこの地に営造された。諸陵は長陵を中心として左右に配され,それぞれ陵園を形成し,長陵にいたる神道に沿って石人 12体,石獣 24体が列置されている。代表的な長陵で陵園をみると,全体が3園に分れ,中央には巨大な稜恩殿があり,その背後に明楼があり,明楼のうしろに巨大な円丘を築く。定陵の場合はこの円丘の下に地下深く墓室が存在していた。

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世界遺産情報 「明十三陵」の解説

明十三陵

十三陵は、明の第3代皇帝から第17代皇帝のうちの13人の皇帝の墓がある場所です。北京から北に50kmほどのところに位置し、風水的に適した場所であることからこの地が選ばれたといわれています。2003年に世界文化遺産に登録されました。 陵墓の中でも最も有名なのが長陵と定陵であり、長陵は、明時代の最も有名な第3代皇帝成祖永楽帝と皇后徐氏の墓で、十三陵の中では最も古く最大となっています。定陵は14代皇帝神宗万暦帝の墓で、地下宮殿が公開されています。

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