明石(読み)あかし

精選版 日本国語大辞典 「明石」の意味・読み・例文・類語

あかし【明石】

[1]
[一] 兵庫県南部、播磨海岸の東端の地名。古くから山陽、南海両道の宿駅、淡路島への港として知られる。天和二年(一六八二)以降は松平八万石の城下町古来かわら清酒明石縮、明石焼などの産がある。柿本人麻呂をまつる人丸神社境内に、東経一三五度の日本標準時子午線の通過標柱がある。大正八年(一九一九)市制。
[二] 「源氏物語」第一三帖の名。源氏二七歳の三月から二八歳の八月まで。都を追われた源氏は明石入道の邸に身を寄せ、入道の娘明石上と結ばれるが、朱雀帝の召還により単身都に戻る。
[三] 兵庫県南東部にあった郡。古くは赤石とも書いた。大正八年以降、明石市・神戸市に併合され、昭和二六年(一九五一)消滅。
[2] 〘名〙
※雑俳・柳多留‐八二(1825)「明石からほのぼのとすく緋縮緬
② 香木の名。分類は真南蛮。香味は酸鹹苦。六十一種名香の一つ
[語誌](一)(一)が風光美、なかでも月の名所として歌や句に見えるようになるのは、「源氏物語」の、光源氏が明石君を尋ねる八月十三夜の月の描写による影響も考えられる。

あかし【明石】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「明石」の意味・読み・例文・類語

あかし【明石】

兵庫県南部、明石海峡に面する市。もと山陽道・四国街道の分岐点の宿駅で、松平氏の城下町。日本標準時子午線の東経135度が通る所に天文科学館がある。人口29.1万(2010)。
源氏物語第13巻の巻名。光源氏27歳から28歳。須磨から明石への移住、明石の上との恋愛、帰京を描く。

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改訂新版 世界大百科事典 「明石」の意味・わかりやすい解説

明石[市] (あかし)

兵庫県南部,明石海峡に臨む市。1919年市制。人口29万0959(2010)。大阪湾の西の玄関として,また淡路島を経て四国への連絡路として古くからの要地である。また風光明美の地として知られ,江戸時代は小笠原氏10万石の城下町として栄えた。山陽本線明石駅の北に接する明石城跡は広大な明石公園となっている。駅南の旧城下町地区は第2次世界大戦の戦災でおもかげを失ったが,現在でも東播の商業の中心である。山陽新幹線西明石駅がある。市域中部の林崎一帯は大正期に工業化が進み,西部の大久保は昭和に入って航空機をはじめ軍需工業が発達した。戦災で市街の60%焼失の被害を受けたが,戦後は神戸製鋼,川崎重工業などの大工場が立地し,工業都市化が進んだ。しかし最近は丘陵地の開発や溜池の埋立てによる住宅団地が増え,工場跡地に巨大ショッピングセンターが開発されるなど隣接する神戸市の衛星都市としての性格が強まった。1995年の阪神・淡路大震災では死者8名,家屋の全半壊5600棟という被害を受けた。昔から明石タイやタコで有名な漁業は,水質汚濁や海面埋立てで衰えた。明石城の東に連なる人丸山上の月照寺境内に東経135°の日本標準時の子午線標柱があり,付近に1960年に子午線の標識をかねて建設された天文科学館がある。なお西八木海岸の洪積層から,いわゆる明石原人(明石人)の骨が発掘された。1998年4月世界最長の吊橋明石海峡大橋が完成,既に開通している鳴門大橋と合わせて本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートが貫通した。
執筆者:

播磨国の城下町。1617年(元和3)小笠原忠真が入封し,翌年幕命によって明石海峡を望む赤松山に明石城を築いた。城の南,中堀と外堀の間に侍屋敷が作られ,その南に城下町が建設された。姫路藩本多氏の客臣宮本武蔵玄信の町割図に従って,東は京口門から西は姫路口門までの西国街道沿い9丁19間半の間に,鍛冶屋町,細工町,東西魚町,東西本町,信濃(中)町,明石町,東西樽屋町の10町が造られ,明石湊が掘削された。そのために大蔵谷,中ノ庄,大明石3村の農地630石余がつぶされ,池野村は城地となったために伊川の北に移された。人丸塚と別当月照寺も侍屋敷となって城地東方の山に移された。その後18世紀初めまでに船町,戎町,東西の門の外に東西新町が成立した。以上14町と枝町25町を合わせて39町。町方人口は1721年(享保6)8922人であった。城下の東に続く大蔵谷村は兵庫と加古川へ継ぎ立てる中国路の宿駅であった。
執筆者:

〈播磨国風土記逸文〉に明石の駅家に楠の大樹があり,舟を作って速鳥(はやとり)と名づけたという説話を載せる。古来多くの歌に詠まれ,月の名所である。《古今集》巻九羇旅には〈ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ〉の歌があり,柿本人麻呂作と伝える。これにちなみ,人丸山上には人丸神社(柿本神社)がある。また,《源氏物語》には〈明石〉巻があり,流謫(るたく)の光源氏が明石上(あかしのうえ)と結ばれた舞台とされている。芭蕉の《笈の小文》にここでの句として〈蛸壺やはかなき夢を夏の月〉がある。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「明石」の解説

明石
あかし

[現在地名]廿日市町宮内 明石

御手洗みたらい川の上流、折敷畑おしきばた山西麓の谷間の地。宮内みやうちの西端にあたり、明石峠を経てとうげ(現佐伯町)に至る。地名は天文二三年(一五五四)六月一一日付の毛利元就同隆元連署状(熊谷家文書)に「於去五日明石口陶衆与合戦」とみえ、陶晴賢と毛利元就の軍勢が戦っている。「陰徳太平記」は「神領明石合戦之事」として、

<資料は省略されています>

と記す。天正一九年(一五九一)一二月二六日付の穂田元清打渡状(「閥閲録」所収桂四郎兵衛家文書)によれば、明石の地三二石三斗が桂元依に給されている。

江戸時代には宮内村上組に属したが、大歳おおどし神社を氏神として独自の集落を形成し明石組と称した。

明石
あかし

播磨灘に臨む海岸部一帯をさす文芸地名で、古くから景勝地として知られる。「万葉集」巻三に収める柿本人麻呂の「天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」をはじめとして、同書には明石の海(浦・大門・門・湖)を詠む歌が八首、明石の潟の詠歌が一首収められる。のち明石浦(能因歌枕・和歌初学抄)、明石瀬戸(和歌初学抄)・明石門(五代集・八雲御抄)・明石浜(同上)、明石潟(八雲御抄)などが歌枕となった。「古今集」に「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ」(読人知らず)、「新古今集」に「あかしがた色なき人の袖をみよすずろに月もやどるものかは」(藤原秀能)など多数の詠歌がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明石」の意味・わかりやすい解説

明石
あかし

経(たて)・緯(よこ)ともに絹糸を使った縮(ちぢみ)織の盛夏用着尺地。明石織、明石縮(ちぢみ)(絹縮)ともいう。織物組織は、経糸に生糸、緯糸に練った強撚(きょうねん)糸を使う片しぼの絹縮。中国から撚糸技法が伝来し、近世初頭から各地で縮織が生まれたが、この技法は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)に播磨(はりま)国明石(兵庫県明石市)で織り始めたと伝えられ、地名が織物名となった。京都の西陣でも織られたが、その後明石の浪人堀次郎将俊(まさとし)が、技法を越後(えちご)に伝え、麻糸を素材とする麻縮(小千谷縮(おぢやちぢみ)、越後縮)を生み出した。1887年(明治20)ごろ新潟県十日町を中心に西陣の明石織を導入し、緯糸の強撚糸と仕上げ整理法を研究して絹縮生産に成功、十日町明石の名で知られた。十日町明石は絣(かすり)から縫取りや、両しぼのものまで改良を加え、1940年(昭和15)ごろまで織られ、その後市場から姿を消したが最近わずかながら復活している。

[角山幸洋]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明石」の意味・わかりやすい解説

明石
あかし

(1) 旧日本海軍が新造した唯一の工作艦。基準排水量 9000t。 1939年竣工,44年3月パラオで沈没。
(2) 海上自衛隊の海洋観測艦。正式名『あかし』。基準排水量 1420t。水深,潮流,海水温度,塩分などを観測,対潜水艦作戦の資料とする。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「明石」の解説

明石
(通称)
あかし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
明石左衛門 など
初演
貞享3.11(京・岩本座)

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事典・日本の観光資源 「明石」の解説

明石

(兵庫県明石市)
日本十二景」指定の観光名所。

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