星野哲郎(読み)ホシノテツロウ

デジタル大辞泉 「星野哲郎」の意味・読み・例文・類語

ほしの‐てつろう〔‐テツラウ〕【星野哲郎】

[1925~2010]作詞家。山口の生まれ。本姓有近ありちか雑誌に投稿した詞が「チャイナ波止場」としてレコード化され作詞家デビュー。その後、「黄色いサクランボ」「函館はこだてひと」「アンコ椿つばきは恋の花」「三百六十五歩のマーチ」など、多くヒット曲の作詞を手がけた。

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百科事典マイペディア 「星野哲郎」の意味・わかりやすい解説

星野哲郎【ほしのてつろう】

作詞家。山口県周防大島出身。1946年,清水高等商船学校を卒業し日魯漁業入社遠洋漁業乗組員となるが,腎臓結核を患い闘病生活を送る。53年,作詞家としてデビューするが当初はヒット作が出なかった。62年,作曲家船村徹と組んだ《なみだ船》(歌手北島三郎)がミリオンセラーとなり,以後,船村とのコンビで歌謡史に残る作品を次々と発表,作詞界の大御所的存在となる。代表作に《兄弟仁義》《函館の女》《三百六十五歩のマーチ》など。日本作詞家協会会長,日本音楽著作権協会会長を歴任,2003年,勲三等瑞宝章を受章した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「星野哲郎」の解説

星野哲郎 ほしの-てつろう

1925-2010 昭和後期-平成時代の作詞家。
大正14年9月30日生まれ。漁船員を病気でやめ,闘病中の昭和27年雑誌「平凡」への投稿詞が「チャイナ波止場」としてレコード化される。34年の「黄色いさくらんぼ」につづき,「アンコ椿は恋の花」「函館の女(ひと)」「昔の名前で出ています」などのヒットを生む。平成8年日本作詞家協会会長。平成22年11月15日死去。85歳。山口県出身。高等商船(現・東京商船大)卒。本名は有近哲郎。

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