春日山城(読み)かすがやまじょう

精選版 日本国語大辞典 「春日山城」の意味・読み・例文・類語

かすがやま‐じょう ‥ジャウ【春日山城】

新潟県上越市の春日山にあった、越後守護職上杉氏の居城。長祿年間(一四五七‐六〇)築城。天文一七年(一五四八上杉謙信が城主となり整備。慶長一二年(一六〇七)廃城。

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デジタル大辞泉 「春日山城」の意味・読み・例文・類語

かすがやま‐じょう〔‐ジヤウ〕【春日山城】

春日山にあった上杉謙信の本城。越後えちご守護代長尾氏歴代の本拠で、長尾景虎ながおかげとら(上杉謙信)が拡充整備した。のち上杉景勝の会津移封のあと入城した堀氏が慶長12年(1607)に福島城に移って廃城となる。鉢が峰城。

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改訂新版 世界大百科事典 「春日山城」の意味・わかりやすい解説

春日山城 (かすがやまじょう)

新潟県上越市の春日山(旧,高田市域)にあり,上杉謙信の居城として名高い。城の始まりは明らかでないが,元中年間(1384-92),越後守護代長尾高景が鉢ヶ峯(春日山)城にいて府内館の守護上杉房方をたすけた(《長尾系図》)ことなどから,14世紀半ば過ぎには府内館に属する要害として,存在したことがわかる。春日山城が名実ともに越後の鎮城として重きをなすのは,16世紀初頭の下剋上の大乱〈永正の乱〉で守護を倒し越後の覇者となった長尾為景が,春日山城を本拠としてからである。このとき山上の要害を大いに拡張し,山下に常住の根小屋を営み,商業・交通・文化の中心都市府内と緊密に結ばれた軍営都市が形成されたと思われる。為景の遺業を継いだ景虎(上杉謙信)は,四隣に雄飛して武田・後北条・織田諸氏と対決する間に居城の増強を重ね,永禄年間(1558-70)要塞を完成した。謙信没後の御館(おたて)の乱に際し,上杉景勝は春日山に籠城して,反対勢力の猛攻をくじいて優位に立ち,ついに勝利を得た。1598年(慶長3)景勝が会津に国替えとなり,代わって越後へ入部した堀秀治は春日山城を居城とし,この時期に春日山城は全体にわたり大改修を施され面目を一新したが,今日,東麓の田園中に曲折して延々1.5kmにわたり断続する巨大な塁壕跡は,この時期新営の総構えである。堀忠俊は荒川河口に完成した福島城を居城としたので,春日山城は廃城となった。

 春日山城の規模は壮大で,山上の要害区,山懐の愛宕谷の根小屋区,春日町前面の総構えからなり全体にわたり遺構がよく残っている。けわしい山頂部には本丸,二の段,景勝屋敷,お花畑などの主郭群があり,四方にひろがる尾根山腹には,大小のおびただしい曲輪(くるわ)が散在し,要所に櫓,門,井戸,土塁,堀切,畝形阻塞などの跡がある。根小屋区には城主邸跡〈御屋敷〉をはじめ大形の曲輪が階段状に並び威観を呈する。
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日本の城がわかる事典 「春日山城」の解説

かすがやまじょう【春日山城】

新潟県上越市にあった中世の山城(やまじろ)。上杉謙信を含む戦国時代の越後長尾氏(上杉氏)4代の居城。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。上越市中部にある標高189mの春日山(蜂ヶ峰)の山頂に築かれた連郭式の城郭で、天然の要害に建つ難攻不落の城といわれていた。中世五大山城の一つにも数えられている。春日山の名前は、山麓に奈良の春日大社から勧請された春日神社があったことによる。この城の築城年代は明らかではないが、南北朝時代に越後国守護の上杉氏が越後府中の城館の詰め城として築城したとされる。1507年(永正4)、守護代の長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放し、定実が新守護として府中に入ると、長尾為景が春日山城主となった。その後、長尾晴景を経て、1548年(天文17)に長尾景虎(のちの上杉謙信)が城主となった。為景は本格的な築城に着手し、景虎(謙信)が現在残る大規模な城郭として完成させた。1579年(天正7)には御館の乱を制した上杉景勝が城主となり、1598年(慶長3)には景勝が会津へ転封となったことから堀秀治が入城。江戸時代に入り、越後福嶋藩の初代藩主となった。1607年(慶長12)、秀治の後継となった子の堀忠俊が直江津に福島城(上越市)を築城、居城・藩庁を同城に移したことに伴い、春日山城は廃城となった。現在、城跡には曲輪(くるわ)、土塁、空堀、大井戸、現存門などの遺構が残っている。また、山麓の林泉寺の惣門は、春日山城の搦手門を移築したものであるといわれている。1996年(平成8)には、同城跡北東端の楼門地区が整備され、春日山城史跡広場として公開された。この広場には発掘調査の成果に基づいて復元された土塁、監物堀、道、番所などがある。また春日山城跡ものがたり館があり、春日山城を紹介するビデオ上映のほか、川中島合戦図屏風や発掘調査の出土品などが展示されている。JR信越本線春日山駅から徒歩約30分。またはJR直江津駅からバス14分で林泉寺入口下車、徒歩約20分。◇蜂ヶ峰城とも呼ばれる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「春日山城」の意味・わかりやすい解説

春日山城
かすがやまじょう

新潟県上越市春日山にあった中世の山城。ここに越後守護上杉氏の守護代長尾為景が永正年間 (1504~21) に築城。為景の子上杉謙信が天文 17 (1548) 年 12月,長尾氏の家督を継ぎ,栃尾城から春日山城に移った。謙信は「一生不犯」を誓って生涯妻妾を置かなかったので,嗣子がなく,甥の上杉景勝と小田原の北条氏康の三男上杉景虎の二人を養子に迎えた。天正6 (1578) 年謙信が病没すると,この二人は家督を争った (御館の乱) 。景勝は春日山城を,景虎は直江津の御館城を根拠地として対抗したが,景虎方の手中にあった米山口の要衝,旗持山城の落城によって,景虎方の形勢が不利となると,景虎は友軍の堀井宗親の守る鮫ヶ尾城 (新潟県妙高市) に走ったが,景勝軍に急追され,翌年3月自刃した。この戦いに勝利を得た景勝は,国内を鎮撫し,以後春日山城を本拠としたが,慶長3 (1598) 年1月豊臣秀吉の命で岩代会津 120万石へ転封,同年5月堀久太郎秀治が北庄城から春日山城へ入り,越後 45万石を領有した。翌年8月,11ヵ月間にわたる上杉遺民一揆が起こった。秀治が同 11年春日山城で没すると,弱冠 12歳の忠俊が城主となったが,翌 12年直江津に福島城を築きここへ移ったので,風雲の名城として広く知られた春日山城も廃城となった。

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百科事典マイペディア 「春日山城」の意味・わかりやすい解説

春日山城【かすがやまじょう】

新潟県上越(じょうえつ)市春日山にあった中世の山城。南北朝時代,越後守護上杉氏の守護代長尾氏が築き,以降同氏が拠った。16世紀初め長尾為景が守護を倒し越後の覇者となってから拡張され,跡を継いだ景虎(上杉謙信)の時山上・山下を一体とした城郭を完成,城下町も整備した。上杉景勝が1598年会津に移封,代わって入城した堀氏が総構えを新設するなど改修したが,1607年に福島城に移り廃された。山上の本丸・二の段,山腹の土塁・堀切など諸遺構が残る。
→関連項目御館の乱

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「春日山城」の意味・わかりやすい解説

春日山城
かすがやまじょう

戦国期から江戸初期の城。新潟県上越(じょうえつ)市中屋敷(なかやしき)春日山にある標高180メートルの春日山に築かれた山城(やまじろ)。越後(えちご)の戦国大名上杉謙信(うえすぎけんしん)の本城として名高い。別称、鉢ヶ峯城。城は長禄(ちょうろく)年間(1457~60)ごろ、越後守護代(しゅごだい)長尾為景(ながおためかげ)によって築かれたという。山頂を本丸とし、大小200か所以上の曲輪(くるわ)からなり、空堀、土塁がよく残っている。為景の子景虎(かげとら)(上杉謙信)のときが最盛期で、謙信は前後29年、この城を本拠として各地を転戦して回った。現在みられる縄張りのほとんどは、この時期のものである。謙信死後、養子の景勝が相続したが、1598年(慶長3)会津へ移封され、かわって堀秀治(ひではる)が城主になったが、1607年秀治の子忠俊(ただとし)のとき、福島城に移り廃城になった。

[小和田哲男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「春日山城」の解説

春日山城
かすがやまじょう

新潟県上越市にあった山城。戦国大名上杉謙信の本拠として知られる。起源は南北朝期ともいうが不詳。1513年(永正10)の越後国守護上杉定実と守護代長尾為景の抗争時にはじめてみえる。当初,越後府中の要害として守護代長尾氏の管轄下にあったが,守護代権限の上昇にともない政治的機能が備えられた。上杉謙信・同景勝・堀秀治の時代を通じて拡張・整備され,98年(慶長3)監物堀の外郭線も普請された。1607年(慶長12)堀忠俊が直江津の福島城に移り廃城。実城(みじょう)を中心とした堀切や土塁が普請される要害と,根小屋などの空間からなり,近隣には支砦もある。城跡は国史跡。

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事典・日本の観光資源 「春日山城」の解説

春日山城

(新潟県上越市)
日本100名城」指定の観光名所。

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