智山派(読み)ちさんは

精選版 日本国語大辞典 「智山派」の意味・読み・例文・類語

ちさん‐は【智山派】

〘名〙 (「ちざんは」とも) 真言宗の一流派。覚鑁(かくばん)開祖とし、玄宥(げんゆう)中興の祖とする。京都市東山区東瓦町の智積院(ちしゃくいん)総本山とする。成田山新勝寺川崎大師高尾山などはこれに属する。明治三三年(一九〇〇新義真言宗智山派を公称。→豊山派

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デジタル大辞泉 「智山派」の意味・読み・例文・類語

ちざん‐は【×智山派】

新義真言宗一派。慶長年間(1596~1615)玄宥げんゆうが京都東山の智積院ちしゃくいんを開いて始めたもの。同寺を総本山とする。→豊山ぶざん

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世界大百科事典(旧版)内の智山派の言及

【声明】より

…真言声明は寛朝(かんちよう)により大成するが,その後分派対立し,平安末には4流派に整理統合され,その中の1流派が南山進(なんざんしん)流として高野山を中心に今日まで伝承されている。また江戸時代初頭には南山進流の系統から分かれた智山(ちざん)派,豊山(ぶざん)派の両派が成立し,それぞれ京都の智積(ちしやく)院,奈良の長谷(はせ)寺を中心に伝統を伝えている。天台声明はやはり円仁以来分派していたが,良忍がこれらを統一して大成した。…

【根来寺】より

…ことに僧兵を擁して威勢強く,近隣の戦国大名とも戦ったが,1585年(天正13)豊臣秀吉の焼討ちにあい,伽藍はほとんど壊滅した。このとき学頭の専誉(せんよ)は長谷寺に入り(豊山(ぶざん)派),玄宥(げんゆう)は京都に智積(ちしやく)院を建て(智山派),それぞれ法灯を継いだ。1623年(元和9)紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)は250石を寄進し,1707年(宝永4)護持院の隆光は将軍綱吉の許可を得て伽藍の修造を図り,97年(寛政9)蓮華院の法住によって大伝法堂再建意趣が作成され,1824年(文政7)完成した。…

※「智山派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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