曇弘(読み)どんこう

世界大百科事典(旧版)内の曇弘の言及

【麦積山石窟】より

…1952年冬に西北文化部,53年7月に麦積山勘察団が調査した。調査によると,第115号窟には,墨書による北魏宣武帝景明3年(502)の張元伯造石室一区の発願文があって最古の銘文だが,《梁高僧伝》には曇弘が永初年間(420‐422)に麦積山に隠居し,玄高がここで曇弘に会ったとき,つねに学徒は300余人だったというから,5世紀初めにはすでに開掘されていたことがわかる。北斉・隋を経て唐・五代・宋・明・清まで引き続き造営修補がおこなわれたが,敦煌千仏洞のような元代の壁画や造像が無い点,特異である。…

※「曇弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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