曾我古祐(読み)そが・ひさすけ

朝日日本歴史人物事典 「曾我古祐」の解説

曾我古祐

没年:万治1.4.21(1658.5.23)
生年天正14(1586)
江戸前期の幕臣。忠三郎,喜太郎,又左衛門などと称す。始め書院番士となったが,元和1(1615)年大坂夏の陣で抜け駆けを行い,一時閉門となり,のち許された。その後,使番を経て,寛永9(1632)年目付となり,同年肥後の加藤氏の改易のため派遣された。また,翌10年には仮奉行として長崎に赴く。11年大坂町奉行となって,死去直前までこの職にあり名奉行とされた。また,父親は幕府右筆の職にあった曾我尚祐であり,父から伝えられた室町将軍家以来の書札礼を,将軍徳川家光の命により,幕府右筆の久保正元に伝えた。家光政権期の典型的な実務型吏僚といえる。

(小宮木代良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曾我古祐」の解説

曾我古祐 そが-ひさすけ

1586-1658 江戸時代前期の武士
天正(てんしょう)14年生まれ。曾我尚祐(なおすけ)の子。幕臣。大坂夏の陣で軍令違反の抜け駆けをして一時閉門となる。のち目付,長崎仮奉行をへて,寛永11年大坂町奉行となり,25年間在職した。明暦4年4月21日死去。73歳。通称は忠三郎,喜太郎,又左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android