曾根崎(読み)そねざき

精選版 日本国語大辞典 「曾根崎」の意味・読み・例文・類語

そねざき【曾根崎】

大阪市北区の大阪駅南側の地名江戸時代大坂市街地北端にあたり、新地遊郭として知られた。現在も飲食店などが並ぶキタ歓楽街の中心。「曾根崎心中」で名高い曾根崎天神露天神)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「曾根崎」の意味・わかりやすい解説

曾根崎 (そねざき)

大阪市北区のJR大阪駅の所在地である梅田3丁目およびその南に位置する梅田1~2丁目の周縁の地。南北朝期から史料にみえる地名で,〈そねさき〉と濁らないのが古い呼び方。地名は,当地が古代には淀川河口の砂州で,石が多く地味のやせた地を指す确(そね)から付けられたものであろう。現在はいわゆる大阪の北の繁華街で,町名に曾根崎1~2丁目,曾根崎新地1~2丁目がある。近世には梅田1~3丁目を含め西成(にしなり)郡曾根崎村,曾根崎新地。曾根崎新地は曾根崎村内に1708年(宝永5)成立,成立と同時に大坂三郷天満組に組み入れられた。曾根崎川(蜆(しじみ)川)に沿い,1~3丁目があった。新地繁栄策として茶屋株98(のち増減があり97),煮売屋株56,風呂屋株4,湯屋株1,旅籠屋株5,芝居小屋5ヵ所,小芝居小屋1ヵ所が認められており,茶屋には茶立女各2,風呂屋には髪洗女がいて,新しい遊所となった。堂島米会所堂島米市場)が繁栄するとともに,堂島新地の茶屋も当地に移るほどで,米商などの遊楽場所としても栄えた。

 蜆川は明治末年埋め立てられたが,近松門左衛門作《心中天の網島》で著名。曾根崎2丁目にある露(つゆ)天神は通称お初(はつ)天神とよばれる。これは1703年(元禄16)内本町(うちほんまち)の醬油屋平野屋の手代徳兵衛,堂島新地天満屋の遊女お初が,当天神の森で心中したためである。この事件は同じく近松によって《曾根崎心中》として戯曲化され,人口膾炙かいしや)した。なお上田秋成は曾根崎の生れである。
梅田
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百科事典マイペディア 「曾根崎」の意味・わかりやすい解説

曾根崎【そねざき】

大阪市北区,梅田に接する地区。江戸時代は大阪市街の北端,茶屋が多く曾根崎新地と呼ばれた。〈キタ〉と通称される繁華街の一部で,バー,食堂などが密集する。近松の《曾根崎心中》で知られ,付近の露(つゆ)天神社はお初天神ともいう。
→関連項目北[区]新地

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「曾根崎」の意味・わかりやすい解説

曾根崎
そねざき

大阪市北区中央南部,JR大阪駅の南東一帯の地区。元禄9 (1696) 年改修された蜆川 (しじみがわ・曾根崎川) に沿って設けられた曾根崎新地を基盤に,遊興地として発展。 1909年の大火で蜆川は埋立てられたが,付近一帯は貸席,料亭の地として復興。現在はバー,料理店が集中し「キタ」の繁華街の中心をなす。蜆川は『心中天網島』の,露天神社 (お初天神) は『曾根崎心中』 (ともに近松門左衛門作) の舞台として知られる。

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