曾鞏(読み)そうきょう(英語表記)Zēng Gǒng

精選版 日本国語大辞典 「曾鞏」の意味・読み・例文・類語

そう‐きょう【曾鞏】

中国北宋文人。字(あざな)は子固。南豊(江西省)の人。若くして欧陽脩に認められ、感情を抑えた平易な文章を書いた。唐宋八大家一人。詩文集「元豊類稿」。(一〇一九‐八三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「曾鞏」の意味・わかりやすい解説

曾鞏 (そうきょう)
Zēng Gǒng
生没年:1019-83

中国,北宋の文章家,名臣。字は子固。江西省南豊県の出身。南豊先生で知られる。王安石とは姻戚関係にあり,欧陽修が試験委員長の嘉祐2年(1057)に39歳で進士及第。官は中書舎人,翰林学士に至る。文は後世,唐宋八大家(《唐宋八家文》)の一人に数えられ,地味で緻密,ために明の帰有光,清の桐城派など近世後世の古文作家にとくに尊重された。詩文集に《元豊類藁》50巻がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「曾鞏」の意味・わかりやすい解説

曾鞏
そうきょう
Zeng Gong

[生]天禧3(1019)
[没]元豊6(1083)
中国,北宋の文学者。南豊 (江西省) の人。字,子固。南豊先生と呼ばれた。嘉祐2 (1057) 年,進士に及第。ほとんど地方にあって善政をうたわれ,のち神宗に信任されて中書舎人に進んだが,まもなく没した。欧陽修の影響を受けた緻密な文体古文で名高く,「唐宋八大家」の一人に数えられ,清代には「桐城派」の模範とされた。詩は古体詩にすぐれるが,文ほどには高く評価されない。詩文集『元豊類藁 (こう) 』 (50巻) ,古今篆刻 (てんこく) を集めた『金石録』 (500巻) がある。 (→唐宋八家文 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の曾鞏の言及

【中国文学】より

…彼が著した歴史《新五代史》は暢達(ちようたつ)な散文で書かれているし,随筆などに新しい領域を開拓した。古文はその門人の曾鞏(そうきよう),王安石,蘇軾らによって大きな潮流になる。曾鞏の散文は着実で,ややかたくるしく,王安石の古文は簡潔で凝縮的である。…

【唐宋八家文】より

…正しくは《唐宋八大家文読本》といい,全30巻から成る。しかしこの沈徳潜本の成立までに明の茅坤(ぼうこん)の《唐宋八大家文鈔》と清の儲欣(ちよきん)の《唐宋十大家全集録》があり,しだいに《読本》の唐の韓愈,柳宗元,宋の欧陽修,蘇洵(そじゆん),蘇軾(そしよく)(東坡),蘇轍(そてつ),曾鞏(そうきよう),王安石に定着したのである。沈徳潜は同書の序文でも唐宋文から漢代の文章である漢文にさかのぼるべきであると主張している点でもわかるように,明の古文辞派の〈文は秦漢〉のスローガンにも,ある程度の同情を寄せている格調派の指導者である。…

※「曾鞏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android