朝日日本歴史人物事典 「有馬新一」の解説
有馬新一
生年:嘉永4.1.26(1851.2.26)
明治期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士の子。初め簗瀬新之丞,のち有馬家を継いで新一と改名。明治7(1874)年,兵学寮第1期生中首席で卒業し少尉補。8年米国に航海する。10年西南戦争では「筑波」に乗り組んだ。15年大尉。23年高等軍法会議判士長,大佐。日清戦争で戦艦「金剛」の艦長を務め,戦利艦「鎮遠」回航委員長。28年海防艦「橋立」艦長となり,功4級旭日小綬章を受ける。30年9月英国で竣工した1万2500tの戦艦「八島」回航委員長としてスエズ運河を見事通過させ操艦の名手として知られる。33年北清事変には艦隊司令官,日露戦争では海軍教育本部長,艦政本部長,呉鎮守府司令長官を務めた。35年中将に進み,36年東京軍法会議判士長。39年第1艦隊司令長官に就任。40年男爵。42年佐世保鎮守府司令長官在職中に死去。<参考文献>下竹原弘志『熱き薩摩の群像700名』
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報