服部南郭(読み)はっとりなんかく

精選版 日本国語大辞典 「服部南郭」の意味・読み・例文・類語

はっとり‐なんかく【服部南郭】

江戸中期の儒者、詩人。京都の人。名は元喬、字は子遷。通称小右衛門。初め柳沢吉保に和歌をもって仕え、荻生徂徠漢学を学び、のち家塾を開いて子弟教授徂徠門では経学の太宰春台と並んで、詩文を代表する存在。盛唐詩を鼓吹し、その校定した「唐詩選」は、以後江戸期を通じてよく読まれた。老荘思想にも関心深く「郭注荘子」を校訂刊行。著に「大東世語」「南郭先生文集」など。天和三~宝暦九年(一六八三‐一七五九

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デジタル大辞泉 「服部南郭」の意味・読み・例文・類語

はっとり‐なんかく〔‐ナンクワク〕【服部南郭】

[1683~1759]江戸中期の儒学者・漢詩人。京都の人。名は元喬もとたか古文辞派の代表詩人。荻生徂徠おぎゅうそらい門下で、太宰春台だざいしゅんだいと並び称される。著「南郭文集」など。

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百科事典マイペディア 「服部南郭」の意味・わかりやすい解説

服部南郭【はっとりなんかく】

江戸中期の儒学者,漢詩人。名は元喬(もとたか),字は子遷(しせん)。京都の人。初め和歌を学び柳沢吉保に歌人として抱えられたが,のち荻生徂徠に入門,漢詩文に転じ,経学(けいがく)の太宰春台と並称された。また画もよくした。《十八史略》《唐詩選》の校訂は名高い著書《唐詩選国字解》《大東世語(せいご)》《文筌(ぶんせん)小言》等。
→関連項目斎静斎鵜殿士寧【けん】園社湯浅常山

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改訂新版 世界大百科事典 「服部南郭」の意味・わかりやすい解説

服部南郭 (はっとりなんかく)
生没年:1683-1759(天和3-宝暦9)

江戸中期の漢詩人。名は元喬,字は子遷。南郭は号。京都の町家に生まれ,幼少のときから和歌をたしなんだ。早く江戸に出て,5代将軍徳川綱吉の寵臣柳沢吉保に歌人として抱えられた。1711年(正徳1)ごろ柳沢家の儒臣荻生徂徠に入門して,漢詩文に転じた。1718年(享保3)柳沢家を退き,以後は終生野にあって詩文をもっぱらとする生涯を送った。それまで儒学の支配下にあった漢詩を文学として解放するのに功績があり,またその生き方は,江戸中期の知識人たちの,現実を離れて芸術・趣味の世界に遊ぼうとする,いわゆる文人意識の典型をなすものであった。作品は《南郭先生文集》に所収されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「服部南郭」の意味・わかりやすい解説

服部南郭
はっとりなんかく
(1683―1759)

江戸中期の漢詩人。名は元喬(もとたか)。字(あざな)は子遷。南郭はその号。京都の商家に生まれ、少年時代に江戸へ下った。初め和歌を学び、18歳のころ柳沢吉保(よしやす)に歌人として召し抱えられたが、すでに吉保に仕えていた儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)を知り、入門するに及んで漢学に転向した。1718年(享保3)柳沢家を去って終生自由な境涯詩作にふけり、享保(きょうほう)~宝暦(ほうれき)期(1716~64)漢詩壇の指導的立場にあった。徂徠と異なり政治的関心を抱かず、文学、芸術を通じて自我や個性を伸ばす生き方を追求し、祇園南海(ぎおんなんかい)、柳沢淇園(きえん)らとともに文人意識の確立者とされる。『唐詩選』を初めて校訂出版したことでも名高い。詩文は『南郭先生文集』に収められる。

日野龍夫]

『頼惟勤校注『日本思想大系37 徂徠学派』(1972・岩波書店)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「服部南郭」の解説

服部南郭
はっとりなんかく

1683.9.24~1759.6.21

江戸中期の文人学者。通称小右衛門,名は元喬,字は子遷,南郭は号。京都の町人出身。はじめ歌人として柳沢吉保に仕え,のち致仕して講義などで生計を立てた。1710年(宝永7)頃荻生徂徠に入門。とくに古文辞(こぶんじ)による詩文創作の主張を継承。大名など交際範囲が広く,詩名も高かった。遺託をうけて「徂徠集」「論語徴」など師の遺著の刊行にあたった。経世面では老荘風の無為の説に立つ。文雅風流に生きる理念は,江戸後期に輩出する文人の先駆をなした。世襲身分制の近世社会で,文学にかけて悔いない自我意識を立てた意義は大きい。「疎朗にして豪志あり」との徂徠評がある。著書「唐詩選国字解」「南郭文集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部南郭」の解説

服部南郭 はっとり-なんかく

1683-1759 江戸時代中期の儒者,漢詩人。
天和(てんな)3年9月24日生まれ。江戸で柳沢吉保に歌人としてつかえ,荻生徂徠(おぎゅう-そらい)にまなぶ。吉保没後,私塾をひらく。経世論の太宰春台(だざい-しゅんだい)に対して詩文の南郭として徂徠門下の双璧といわれた。享保(きょうほう)9年「唐詩選」を校訂出版,唐詩流行のきっかけをつくった。宝暦9年6月21日死去。77歳。京都出身。名は元喬。字(あざな)は子遷。通称は小右衛門。別号に芙蕖(ふきょ)館。著作に「大東世語」「南郭先生文集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「服部南郭」の意味・わかりやすい解説

服部南郭
はっとりなんかく

[生]天和3(1683).9.24. 京都
[没]宝暦9(1759).6.21. 江戸
江戸時代中期の儒学者,詩人。名は元喬,字は子遷,通称は小右衛門。南郭または芙きょ館と号した。 14歳で江戸へ下り,歌と画をもって柳沢吉保に仕えた。のち職を辞し,塾を開いて教授。荻生徂徠門下で,経学の太宰春台とともに,詩文派の代表として双璧をなし,温厚な人柄と,詩人的天分の豊かさによって,門人は遠く山陽,九州からも集った。著書に『南郭文集』 (1727) ,『唐詩選国字解』 (50) ,『大東世語』 (50) などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「服部南郭」の解説

服部南郭
はっとりなんかく

1683〜1759
江戸中期の儒学者・漢学者・詩人
京都の人。荻生徂徠 (おぎゆうそらい) の門に入り,古文辞学を修めた。詩文にも長じ,著書に『唐詩選諺解 (げんかい) 』『大東世語』など。

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367日誕生日大事典 「服部南郭」の解説

服部南郭 (はっとりなんかく)

生年月日:1683年9月24日
江戸時代中期の古文辞学派の儒者;文人
1759年没

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世界大百科事典(旧版)内の服部南郭の言及

【荻生徂徠】より

…1709年(宝永6)吉保の隠居に伴い茅場町に町宅,家塾蘐園(けんえん)を開く。この前後に山県周南,安藤東野,服部南郭,太宰春台らが入門。ほかに僧侶や大名も門人に加わる。…

※「服部南郭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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