朝倉摂(読み)あさくらせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝倉摂」の意味・わかりやすい解説

朝倉摂
あさくらせつ

[生]1922.7.16. 東京,谷中
[没]2014.3.27. 東京,稲城
舞台美術家,画家本名冨沢摂。女性舞台美術家の草分け的存在。彫刻家朝倉文夫長女。父の方針で,小学校卒業後は学校教育を受けず,家庭で才能教育を受けて育った。伊東深水に師事し日本画を学び,1953年に上村松園賞を受賞。やがて洋画に転じたが,1960年代から舞台美術を手がける。1970年に渡米し,ニューヨークで舞台美術を学ぶ。歌舞伎前衛演劇オペラ舞踊,映画など幅広い分野で活躍し,大胆かつ新鮮な舞台づくりで知られた。スーパー歌舞伎ヤマトタケル』や夢の遊眠社野獣降臨(のけものきたりて)』など多くの作品を手がけた。1980年篠田正浩監督の『夜叉ケ池』で日本アカデミー賞美術賞,1985年蜷川幸雄演出の『にごり江』で芸術祭賞,1989年朝日賞,1991年『薔薇花束の秘密』などで紀伊国屋演劇賞,1995年『泣かないで』などで読売演劇大賞最優秀スタッフ賞などを受賞。1987年紫綬褒章を受章,2006年文化功労者に選ばれた。

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百科事典マイペディア 「朝倉摂」の意味・わかりやすい解説

朝倉摂【あさくらせつ】

舞台美術家。彫刻家朝倉文夫の長女として東京に生まれる。新制作協会に所属し日本画家として出発するが,1948年にドナルド・リチー作《パーティ》の舞台美術を手がけ,1960年代から舞台美術家として本格的な活動に入る。井上ひさし作・木村光一演出《藪原検校》(五月舎,1976年),唐十郎作・演出《蛇姫様》(状況劇場,1977年),ブレヒト作・蜷川幸雄演出《三文オペラ》(東宝,1977年),唐十郎作・蜷川幸雄演出《下谷万年町物語》(パルコ西武劇場,1981年),市川猿之助演出《コックドール》(パリ公演,1984年)など,小劇場,新派新劇と幅広い舞台の仕事の他,映画の美術や歌謡ショーの舞台も手がけた。1989年朝日賞を受賞,2006年文化功労者。妹の朝倉響子〔1925-〕も彫刻家である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝倉摂」の解説

朝倉摂 あさくら-せつ

1922-2014 昭和-平成時代の日本画家,舞台美術家。
大正11年7月16日生まれ。朝倉文夫の長女。朝倉響子の姉。伊東深水に師事し,昭和28年新制作協会展で「働く人」が上村松園賞。35年ごろから舞台美術を中心に活動,テアトロ演劇賞,日本映画アカデミー賞,芸術祭賞,朝日賞などを受賞した。平成18年文化功労者。26年読売演劇大賞芸術栄誉賞。平成26年3月27日死去。91歳。東京出身。本名は冨沢摂。著作に「朝倉摂のステージワーク」。舞台美術の代表作に「近松心中物語」「ヤマトタケル」など。

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世界大百科事典(旧版)内の朝倉摂の言及

【朝倉文夫】より

…多くの原型は朝倉彫塑館に保存されている。日本画家で舞台美術を手がける朝倉摂は長女,彫刻家朝倉響子は次女である。【三木 多聞】。…

※「朝倉摂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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