朝日平吾(読み)あさひへいご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝日平吾」の意味・わかりやすい解説

朝日平吾
あさひへいご
(1890―1921)

右翼浪人。テロリスト。佐賀県生まれ。1916年(大正5)第二次満蒙(まんもう)独立運動に加わるなど大陸放浪し、おもに新聞社を転々、ごろつき右翼記者として脅迫を事とした。帰国後は国粋主義団体や労働ホテルの設立画策。労働ホテルは都市貧窮労働者の救済標榜(ひょうぼう)し、資金は富豪寄付で賄うとされた。しかし計画は相手にされず、「死ノ叫声」という斬奸(ざんかん)状を用意して1921年(大正10)9月安田財閥の安田善次郎面会、これを刺殺すると同時に自殺を遂げた。ファシズム期の財界人攻撃の先駆といってよい。

[岡部牧夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝日平吾」の解説

朝日平吾 あさひ-へいご

1890-1921 大正時代国家主義者
明治23年7月生まれ。大正5年中国東北部にわたり,各地を放浪。8年帰国して平民青年党を組織し,労働ホテル,神州義団などの設立を計画するが挫折斬奸状(ざんかんじょう)と遺書「死ノ叫声」を用意して,大正10年9月28日安田善次郎を大磯別邸で刺殺,その場で自殺した。32歳。佐賀県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の朝日平吾の言及

【安田善次郎】より

…晩年には日比谷公会堂,東京帝国大学講堂(安田講堂)の寄付や,東京市政調査会の後援など,公共的事業も行った。21年9月,大磯の別荘において暴漢朝日平吾に刺殺された。【浅井 良夫】。…

※「朝日平吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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