朝日貝塚(読み)あさひかいづか

日本歴史地名大系 「朝日貝塚」の解説

朝日貝塚
あさひかいづか

[現在地名]氷見市朝日丘

かた山とよばれる丘陵の東山麓、誓度せいど寺を中心にした標高三―七メートルの低い台地一帯に広がる、縄文時代前期から後期を中心とした遺跡。発見は大正七年(一九一八)で、誓度寺新築工事中に遺物が発見され、大境おおざかい洞窟の調査を行っていた東京大学人類学教室の柴田常恵らが調査を行った。ハマグリサルボウアサリなどを主とした日本海側では数少ない鹹水産の貝塚であった。国指定史跡。大正一三年にも発掘調査が行われ、厚さ三〇センチの貝層二層のさらに下層から、赤土を張った床に設けられた炉跡が二つ検出された。

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改訂新版 世界大百科事典 「朝日貝塚」の意味・わかりやすい解説

朝日貝塚 (あさひかいづか)

富山県氷見市朝日丘にある朝日山丘陵の東端,潟山のふもと標高3~7mの位置に残された,縄文時代中期の鹹水(かんすい)産貝塚。1922年3月史跡指定。貝塚は,1918年7月国泰寺別院誓度寺建立のための地盛り中に発見された。当時,当地では日本初見の洞窟遺跡大境洞窟が発掘調査されて,遺跡への関心が高まっていたため,同年10月には小規模な発掘調査が行われ,24年6月,焼失した誓度寺の再建に先だって第2回の発掘調査が実施された。この調査で2基の炉跡を発見して竪穴住居跡1棟を初完掘し,それまでの遺物を主対象とした研究から脱却する契機となった。この竪穴住居跡には覆屋がかけられ,保存されている。また,貝塚東側から検出された長さ15.95cmの硬玉製大珠は,73年重要文化財の指定を受けた。
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国指定史跡ガイド 「朝日貝塚」の解説

あさひかいづか【朝日貝塚】


富山県氷見(ひみ)市朝日丘にある貝塚遺跡。県の西北部、通称潟山(かたやま)の東麓斜面の畑地に所在する。数少ない日本海沿岸の貝塚遺跡中、規模・内容において屈指の遺跡であることから、1922年(大正11)に国の史跡に指定された。貝塚は表土から最下層まで8層あり、縄文時代前期と中期の土器石器、6体分の人骨、海陸の動物の骨が見つかっている。中期の土器のうちバスケット形土器は、縄文時代中期最高の芸術作品ともいえる。そのほか、15.9cmの巨大な硬玉(こうぎょく)製大珠が出土、考古資料として重要文化財に指定されている。1924年(大正13)には国内では初の例となる、炉跡のある住居跡が2棟確認された。住居跡は、縄文時代前期末と縄文時代中期前葉から中葉にかけてのものが重複しており、これらは現在、覆屋をかけて保存展示されている。JR氷見線氷見駅から徒歩約5分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝日貝塚」の意味・わかりやすい解説

朝日貝塚
あさひかいづか

富山県氷見(ひみ)市朝日丘(あさひがおか)町の誓度寺(せいどじ)境内にある、縄文前期から後期の貝塚。1918年(大正7)柴田常恵(しばたじょうけい)が大境洞窟(おおざかいどうくつ)に続いて調査し、日本海側には少ない鹹水(かんすい)産貝塚であることが判明。1922年国の史跡に指定された。ところが誓度寺が焼失したので、再建前の1924年、2回目の発掘が行われ、第2貝層に続く黒色砂質土層上面で礫(れき)と土器片で囲った炉と貼床(はりゆか)を、さらにその30センチ下位でも1基の石組炉を発見した。これは住居跡調査に先鞭(せんべん)をつけたものであった。1926年と1949年(昭和24)の発掘で、計5体の人骨が出土した。バスケット形土器と、長さ15.9センチメートルの日本最大の硬玉大珠(だいしゅ)(国指定重要文化財。湊晨(みなとしん)氏所蔵)が出土遺物として著名。

[小島俊彰]

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