木原楯臣(読み)きはら・たておみ

朝日日本歴史人物事典 「木原楯臣」の解説

木原楯臣

没年:慶応4.7.8(1868.8.25)
生年:文化2(1805)
江戸後期の有職故実家。名は初め真足。通称は初め英太,のち楯太。藤園と号す。肥後熊本藩士。幼少から剣術,馬術,軍学,犬追物などを学び,その奥義をきわめたという。同藩の長瀬真幸,林桜園に従って皇朝学および歌学を修め,敬神尊王の説を唱え,特に有職故実の学に精通した。群書を博捜するにとどまらず,自ら実物を擬作するという徹底ぶりで,著書に『古兵器図解』『楯臣直垂考』などがある。藩主の命により江戸に出ること数次,伴信友と最も親しく,信友は随筆比古婆衣』で楯臣の説を多く採用している。

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木原楯臣」の解説

木原楯臣 きはら-たておみ

1805-1868 江戸時代後期の有職(ゆうそく)家,国学者。
文化2年生まれ。肥後熊本藩士。長瀬真幸(まさき),林桜園に国学,和歌をまなび,武芸武家故実にも通じる。遺跡にも関心をよせ,肥後阿蘇郡(あそぐん)平井古墳の発掘調査記録をのこした。慶応4年7月8日死去。64歳。初名は真足。通称は楯太。号は藤園。著作に「古兵器図解」「楯臣直垂(ひたたれ)考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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