朝日日本歴史人物事典 「木村庄之助(4代)」の解説
木村庄之助(4代)
江戸中期の行司。仙台藩出身。享保11(1726)年,中立庄之助から名を改め,木村庄之助として初めて江戸大相撲の番付に載ったとされる。この庄之助が実質的初代で,木村家ではのちに文政(1818~30)のころ家系を改め,架空と別系の行司を3人立てたので4代目となった。「木村家先祖書」「行司系図」によれば,初代は寛永期(1624~44)の人で中立羽左衛門,2代が木村喜左衛門,3代は享保期(1716~36)の中立改め木村左衛門または木村若狭守ともいわれるが,いずれも事跡は明らかでない。行司は本来相撲興行の主催者の一員で,のち勝敗の判定を担うようになり,木村庄之助が代々その最高位の立行司についた。8代は「天保の松翁」といわれて寛政~天保期(1789~1844)に活躍し,明治18(1885)年から18年間立行司を務めた15代,昭和10年代に松翁の称号を贈られた20代(1876~1940)と共に名行司として知られた。1993年まで28代を数える。<参考文献>大村孝吉『木村庄之助代々』
(水野尚文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報