木村禧八郎(読み)きむらきはちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村禧八郎」の意味・わかりやすい解説

木村禧八郎
きむらきはちろう
(1901―1975)

経済評論家、政治家。東京府生まれ。1924年(大正13)慶応義塾大学経済学部卒業。新聞・雑誌記者、第二次世界大戦後、北海道新聞論説委員長。1947年(昭和22)参議院全国区に社会党から当選し連続4期務める。国会では財政経済通として活躍した。その間、1948年の芦田均(あしだひとし)内閣予算案に対し、インフレを促進するものとして反対票を投じ、与党たる社会党内で問題化、同年黒田寿男(ひさお)らと労働者農民党を結成した(1957年復党)。1971年木村経済研究所を設立、東京都新財源構想研究会座長として美濃部(みのべ)革新都政を推進した。『インフレーション』などの著書がある。

[荒川章二]

『木村経済研究所編『木村禧八郎――一心不乱の生涯』(1976・北海道新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村禧八郎」の解説

木村禧八郎 きむら-きはちろう

1901-1975 昭和時代後期の政治家,経済評論家。
明治34年2月2日生まれ。時事新報記者,北海道新聞論説委員長をへて,昭和22年参議院議員(当選4回,社会党)。財政・経済通として知られ,美濃部(みのべ)東京都知事のブレーンをつとめた。昭和50年5月13日死去。74歳。東京出身。慶大卒。著作に「インフレーション」など。

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