木母寺(読み)もくぼじ

精選版 日本国語大辞典 「木母寺」の意味・読み・例文・類語

もくぼ‐じ【木母寺】

東京都墨田区堤通にある天台宗の寺。山号は梅柳山。院号は隅田院。貞元二年(九七七忠円開創。はじめ梅若(ばいじゃく)寺と称したが慶長一二年(一六〇七近衛信尹が現名に改称。吉田惟房の子梅若丸がかどわかされこの地で病死したのを弔うため、母の花御前が建立した草堂起源と伝えられ、謡曲隅田川」をはじめ、浄瑠璃長唄などの題材となる。

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デジタル大辞泉 「木母寺」の意味・読み・例文・類語

もくぼ‐じ【木母寺】

東京都墨田区にある天台宗の寺。山号は、梅柳山。謡曲「隅田川」などで有名な梅若丸が病没した地に、その冥福を祈って、貞元2年(977)に忠円が創建したと伝える。慶長12年(1607)近衛信尹が梅の字を分けて木母寺とした。4月15日梅若忌が行われる。梅若堂。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木母寺」の意味・わかりやすい解説

木母寺
もくぼじ

東京都墨田(すみだ)区堤通にある天台宗の寺。梅柳山(ばいりゅうざん)と号し、隅田院、梅若寺ともいう。本尊元三(がんざん)大師慈恵(じえ)大師)。977年(貞元2)忠円の開山で、謡曲『隅田川(すみだがわ)』の梅若山王権現(さんのうごんげん)の故事に基づき、平安時代にこの地で死んだ梅若丸の冥福を祈って建てられたという。1607年(慶長12)近衛信尹(このえのぶただ)の命名により木母寺と号し、幕府の保護を受けたが、明治維新とともに廃寺とされ梅若神社となる。1888年(明治21)光円によって再興され、神社は梅若堂となった。1976年(昭和51)現在地へ移転。梅若堂は、都の重要文化財に指定されている。毎年4月15日には「梅若忌」が行われている。

[田村晃祐]


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百科事典マイペディア 「木母寺」の意味・わかりやすい解説

木母寺【もくぼじ】

東京都墨田区にある天台宗の寺。旧称梅若寺。謡曲《隅田川》の故事,梅若の没地に母の花御前が尋ねてきて草堂を営み,羽黒の忠国を迎えて念仏道場としたのに由来するという。976年の創建を伝える。1607年梅の字を割って木母寺と改称。神仏分離で梅若神社のみ残ったが,1889年寺を復した。3月15日に境内の梅若塚で梅若大念仏が催される。
→関連項目秋夜長物語向島(東京)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木母寺」の意味・わかりやすい解説

木母寺
もくぼじ

東京都墨田区堤通にある天台宗の寺。謡曲『隅田川』中の人物である梅若丸の遺跡。梅若丸が人買いに誘拐されてこの地に病没し,母親がたずねてきて草堂を建て念仏道場としたのを縁起とし梅若寺と称した。慶長 12 (1607) 年梅という字を分けて木母としたのが,今の寺名の始め。明治維新の際,梅若神社となったが,1889年寺として再興された。

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