本圀寺(読み)ほんこくじ

精選版 日本国語大辞典 「本圀寺」の意味・読み・例文・類語

ほんこく‐じ【本圀寺】

京都市山科区御陵大岩にある日蓮宗四大本山の一つ。山号は大光山。日蓮が建長五年(一二五三)鎌倉松葉ヶ谷に建てた法華堂に始まる。弘長三年(一二六三)日朗が本国寺と改称。貞和元年(一三四五)日静が京都に移した。徳川光圀が厚く帰依外護したところから、寺号の国の字を圀に改めた。昭和四六年(一九七一)現在地に移転。六条。

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デジタル大辞泉 「本圀寺」の意味・読み・例文・類語

ほんこく‐じ【本圀寺】

京都市山科区にある日蓮宗の寺。日蓮宗四大本山の一。山号は、大光山。日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に創建した法華堂が前身で、興国6=貞和元年(1345)京都に移築。天文5年(1536)天文法華の乱で焼失したが、のち復興、徳川光圀の帰依を得てそれまでの本国寺から現寺号に改めた。

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日本歴史地名大系 「本圀寺」の解説

本圀寺
ほんこくじ

[現在地名]山科区御陵大岩

かつては西本願寺の北(京都市下京区柿本町)にあり、北は松原まつばら通、南は花屋町はなやちよう通、東は堀川ほりかわ通、西は黒門くろもん通に及ぶ広範な寺地を有したが、昭和四六年(一九七一)現在地に移転した。大光山と号し、日蓮宗の大本山。本尊は大曼荼羅であるが、本堂には法華経と釈迦・多宝の二仏、および雲上四菩薩・四天王像を安置する。中世には洛中法華宗二十一ヵ本山の一つとして尊崇を受けた。江戸時代初期までは本国寺と記した。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開創伝承〕

寺伝によれば、日蓮が建長五年(一二五三)鎌倉松葉まつばヶ谷に草庵を建て法華堂と号したのに始まる。弘長三年(一二六三)許されて配所の伊豆国伊東いとう(現静岡県伊東市)から戻り、破却された法華堂を再興、伊東で得た立像釈迦仏を本尊に安置し、大光山本国寺と号した。文永八年(一二七一)に再び破却されて日蓮は佐渡へ流され、同一一年に帰ってから寺は弟子日朗に付属。日蓮の死後日朗はこの地に移り、檀越工藤長勝とともに修造。徳治二年(一三〇七)鎌倉幕府将軍久明親王から四町四方の寺地を賜って再建し、将軍家の祈願所となった。その後日印・日静と伝えられ、嘉暦三年(一三二八)には後醍醐天皇の勅願所となり、貞和元年(一三四五)光明天皇の勅により京都の堀川小路西、六条坊門ぼうもん小路(現五条通)南、大宮おおみや大路東、七条大路北に一二町の寺地を賜って寺を移した。

しかし鎌倉における寺伝には異説もある。文明二年(一四七〇)成立の「伝灯鈔」に日印は「其後名越谷ニ本勝寺ト云ヘル寺ヲ立テ、一門徒ノ旛ヲ被上ノミナラズ、三箇ノ重宝ヲ相続スル間我コソ日朗ノ正嫡ナレト被申出、是ガ六条門徒ノ起リニテハ侍リ」とあり、「与中山浄光院書」には「六条開闢ハ建武四年丁丑宰相公日祐ト云人、上洛シテ一両年在京アリテ、如今門徒可立存候トテ、関東ヨリ日静ヲ呼ノボセ申テ、六条本国寺ノ開山に成申サルヽ也」とある。

本圀寺
ほんこくじ

[現在地名]山口市道場門前二丁目

道場門前どうじようもんぜん町の西詰南側に位置する。本門法華宗。本尊は十界大曼荼羅。古くは本国寺と記した。

「注進案」によれば、文和年間(一三五二―五六)妙顕みようけん(現京都市上京区)の二祖大覚僧正により、日蓮宗西国弘通の最初の寺院として建立されたと伝える。文明一二年(一四八〇)山口を訪れた宗祇は、当寺を宿坊としたという。また天正一五年(一五八七)七月、細川幽斎豊臣秀吉を九州に訪ねて下向したが、その帰途山口に寄り、その「九州道の記」に、

<資料は省略されています>

と記している。

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改訂新版 世界大百科事典 「本圀寺」の意味・わかりやすい解説

本圀寺 (ほんこくじ)

京都市山科区にある日蓮宗大本山。大光山と号する。摩訶一院日印の弟子日静が,鎌倉松葉谷本勝寺を京都六条の地に移して,本国寺と称したのに始まる。本国寺は同じく京都の妙顕寺と共に,〈京都日蓮宗二十一箇本山〉の代表格として威勢を振るった。この本国寺が〈本圀寺〉と改称したのは,江戸時代の初期に水戸光圀が当寺を訪れたことによるという。本国寺の霊宝は,立像の釈迦仏,日蓮真筆の《立正安国論》,佐渡流罪からの赦免状であり,一般に〈三箇霊宝〉と称され,特に立像の釈迦像は公家の近衛政家をはじめ数多くの人々に信仰された。参詣者を多く集めた本国寺は,法華一揆が盛んな頃には拠点の一つとして武備をそなえ,堀を掘るなど要塞を固めていた。1536年(天文5)の天文法華の乱に当たっては,最後まで戦ったが敗れ,堺に避難した。江戸時代の中期に旧観に復したが,天明の京都大火により再び灰燼(かいじん)に帰し,その復興に多くの苦心を重ねた。1969年から現在地に移転。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本圀寺」の意味・わかりやすい解説

本圀寺
ほんこくじ

京都市山科(やましな)区御陵(みささぎ)大岩町にある日蓮(にちれん)宗の寺。日蓮宗四大本山の一つ。山号は大光山。本尊大曼荼羅(まんだら)(日蓮筆と伝える)。日蓮の松葉(まつば)ヶ谷(やつ)の草庵(そうあん)を第4世日静(にちじょう)(足利尊氏(あしかがたかうじ)の叔父)が京都へ移し、本国寺と称したというが、起源については異説もある。中世、洛中法華(らくちゅうほっけ)二十一本山の一寺として尊崇された。法系は六条門流とよばれた。天文(てんぶん)法華の乱(1536)に、延暦(えんりゃく)寺衆徒に攻められ灰燼(かいじん)に帰したが、のち復興された。豊臣(とよとみ)秀吉は朱印地百七十七石を与え、秀吉の姉日秀尼(にっしゅうに)が拡大に努力し、徳川光圀(みつくに)は寺号を本圀寺と改めた。1788年(天明8)大火にかかり、経蔵などわずかを残すのみとなった。西本願寺北にあった経蔵(加藤清正建立、国重要文化財)は1971年(昭和46)現在地へ移建された。伊東法難会(え)(5月12日)、松葉ヶ谷法難会(8月27日)、御会式(おえしき)(10月12日)を催す。

[田村晃祐]

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事典・日本の観光資源 「本圀寺」の解説

本圀寺

(京都府京都市山科区)
日蓮宗四大本山」指定の観光名所。

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