大正・昭和期の陸軍軍人。明治9年5月10日兵庫県生まれ。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期卒業。日露戦争には中隊長として参加、負傷。陸軍大学校教官、参謀本部支那(しな)課長などを経たのち、シベリア出兵に参加。1921~1924年(大正10~13)張作霖(ちょうさくりん)軍事顧問。1931年(昭和6)8月関東軍司令官となり、石原莞爾(いしわらかんじ)ら参謀の柳条湖(りゅうじょうこ)事件以後の軍事行動拡大を承認、錦州(きんしゅう)作戦などを指揮する一方、奉天(ほうてん)親日政権樹立工作や満蒙(まんもう)独立工作を積極的に行った(「満蒙共和国統治大綱案」「満蒙自由国家成立案大綱」を作成)。1932年8月軍事参議官を経て、1933年侍従武官長、大将。二・二六事件後の「粛軍人事」で予備役に編入される。1938年傷兵保護院(1939年軍事保護院と改称)総裁、1945年5月枢密顧問官。敗戦後昭和20年11月20日自決した。
[山田 朗]
『『本庄日記』(1967・原書房)』
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1876.5.10~1945.11.20
大正~昭和前期の軍人。陸軍大将。兵庫県出身。陸軍士官学校(9期)・陸軍大学校卒。参謀本部支那課勤務,北京・上海駐在,張作霖の軍事顧問などを歴任し,陸軍の中国通として知られる。1928年(昭和3)第10師団長,31年関東軍司令官となり,満州事変にも関与。33年侍従武官長となり,2・26事件後に予備役に編入。その後,傷兵保護院総裁・枢密顧問官を務め,第2次大戦後自決した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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