本法寺(読み)ほんぽうじ

精選版 日本国語大辞典 「本法寺」の意味・読み・例文・類語

ほんぽう‐じ ホンポフ‥【本法寺】

京都市上京区本法寺前町にある日蓮宗の本山。山号は叡昌山。永享八年(一四三六)日親が創建。天正一八年(一五九〇)現在地に移転。本阿彌家の菩提所で光悦が造園した方丈の庭は巴(ともえ)の庭(三巴の庭)と呼ばれる。

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デジタル大辞泉 「本法寺」の意味・読み・例文・類語

ほんぽう‐じ〔ホンポフ‐〕【本法寺】

京都市上京区にある日蓮宗の本山。山号は、叡冒山。開創は永享8年(1436)。開山は日親。天正15年(1587)豊臣秀吉寄進の現在地に移転。方丈の庭園は本阿弥光悦の造園と伝える。

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日本歴史地名大系 「本法寺」の解説

本法寺
ほんぽうじ

[現在地名]上京区本法寺前町

日蓮宗大本山で、叡昌山と号する。本尊十界大曼荼羅。開基は不受不施を唱えた日親。日親は中山門流の僧で、当寺は日親が京伝道の際四条高倉たかくらに設けた弘通所に起こり、年次は定かではないが遅くとも永享年間(一四二九―四一)には創建されていたと思われる。ちなみに日親が九州・鎌倉での伝道の後、再度京に入ったのは永享一一年のことである(ただし寺伝は永享八年とする)。外護は鎌倉妙本みようほん寺の大檀那狩野叡昌の娘理哲尼である。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔日親の不受不施・折伏伝道〕

日親は永享一一年将軍足利義教への諫暁を行い、「立正治国論」を撰した。しかし翌一二年二月義教の怒りにふれ投獄された(日親上人徳行記)。日親は不受不施・専持法華・雑乱信仰淘汰を主張し、折伏伝道を強力に推進して信者層を拡大したが、将軍義教への諫暁は京での最初の権力に対する伝道であった。

本法寺
ほんぽうじ

[現在地名]八尾町宮腰

新潟県三条市本成ほんじよう寺を本山とする法華宗陣門流に属する。山号は長松山、黒瀬谷本法寺ともいわれる。本尊十界大曼荼羅。正和五年(一三一六)本成寺日印が越中弘法巡錫の際、もとは天台僧の浄信を帰伏させて弟子とし、日順の名を授けたという。日順は婦負郡井田いだに本法寺を創建、日印により法華宗門北陸道の総末頭と定められた。日順は弟子日賢に付法し、応安元年(一三六八)五月九日に八七歳で没した。二世日賢は応永一五年(一四〇八)三月一二日、七五歳で没。以後日秀・日仙・日真・日栄・日清らが継いだが、法運は世情の混乱とともに衰退した。だが大永元年(一五二一)城尾じようのお城主斎藤氏の三男が出家して日葉と称し、本成寺九世日覚の弟子となり、縁故によって寺を城生じようのうに引移し、本法寺を中興したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「本法寺」の意味・わかりやすい解説

本法寺 (ほんぽうじ)

京都市上京区にある日蓮宗の寺。叡昌山と号する。〈なべかむり〉の法難で有名な日親が,康正年中(1455-57)に開創した寺で,もとは四条綾小路にあった。日親はこの寺を伝道活動の本拠とし,さらには諸地方に散在する一門の寺々の本山として位置づけた。1484年(文明16)には日親みずから〈本法寺法式〉を定め,87年には本法寺縁起を著してみずからの事跡を記し,伽藍の大改築を発願している。この後,京都をはじめとする日蓮宗の隆盛とともに発展し,京都二十一ヵ本山の一つとして重要な役割を果たす。16世紀の法華一揆が盛んなときには,本法寺の大檀那本阿弥家が法華の大将として活躍したが,天文法華の乱に敗退して堺に移り,間もなく一条堀川に再興され,1590年(天正18)豊臣秀吉の洛中整理策により現在地に移転。本阿弥家はこの後も本法寺と深いつながりをもち,江戸時代の初期に本阿弥光悦が出るにおよんで,一門をはじめ多くの芸術家が信者となった。

 長谷川等伯の作をはじめとする近世初頭のすぐれた美術品が当寺に数多く伝わるのはこのためである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本法寺」の意味・わかりやすい解説

本法寺
ほんぽうじ

京都市上京(かみぎょう)区本法寺前町にある日蓮(にちれん)宗の本山。1436年(永享8)日親の創立で、初め東洞院綾小路(ひがしのとういんあやこうじ)にあったが、足利義満(あしかがよしみつ)の忌諱(きき)に触れて日親は投獄され、寺は破却された。その評判が後花園(ごはなぞの)天皇の耳に達し、1455年(康正1)四条高倉に官地を賜って再建したが、5年後東福寺の訴えによってふたたび破却され、三条万里(までの)小路に移建した。1587年(天正15)第10世日通のとき豊臣(とよとみ)秀吉の区画整理により現在の地に移転した。その後、紀伊(きい)徳川家の代々の保護を受け、また本阿弥(ほんあみ)家も菩提(ぼだい)所として外護(げご)した。本堂正面の扁額(へんがく)「本法寺」は光悦(こうえつ)の揮毫(きごう)、巴(ともえ)の庭は光悦の造園である。近世初頭の優れた美術品を数多く蔵する。

[浅井円道]

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