本牧亭(読み)ほんもくてい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本牧亭」の意味・わかりやすい解説

本牧亭
ほんもくてい

東京・台東(たいとう)区上野にあった寄席(よせ)。定員数約200。1857年(安政4)軍談本牧亭として開場。名称の由来は隣接の不忍池(しのばずのいけ)周辺の風景が横浜の本牧に似ていたからという。1876年(明治9)に鈴本亭、ついで鈴本演芸場改称。1950年(昭和25)に名称を復活して鈴本演芸場の裏に再建され、わが国唯一講談の定席として君臨安藤鶴夫(つるお)の小説巷談(こうだん)本牧亭』の舞台にもなった。72年に改築され、講談の灯を守ってきたが、90年(平成2)1月この地での幕を閉じた。その後92年文京区湯島(ゆしま)に小規模ながら再開(池之端(いけのはた)本牧亭)、2002年上野に移転(黒門町(くろもんちょう)本牧亭)。月に数回の公演を行っている。

[向井爽也]

『石井英子著『本牧亭の灯は消えず――席亭・石井英子一代記』(1991・駸々堂出版)』『安藤鶴夫著『巷談本牧亭』(旺文社文庫・ちくま文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「本牧亭」の意味・わかりやすい解説

本牧亭 (ほんもくてい)

寄席。東京都台東区上野に位置する。1857年(安政4)に軍談席本牧亭として始められた。本邦唯一の講談席として,安藤鶴夫の小説《巷談本牧亭》(1962年新聞連載,1963年単行本)の舞台にもなった特異な席だったが,のちには,1ヵ月のうち数日間だけ講談で興行し,その他の日は,落語,講談,浪曲,新内などの独演会などに貸すという形式を採るようになった(1990年閉鎖)。江戸末期から明治初期にかけては,1階が住居,2階が寄席という建物が多かったが,本席はその面影をとどめる建築様式(現在の建物は1972年に新築開場)を採っている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本牧亭」の意味・わかりやすい解説

本牧亭
ほんもくてい

東京の上野にある演芸場。安政4 (1857) 年「軍談席本牧亭」として営業を始めた。 1876年鈴本演芸場と名を変え,色物席 (寄席) になった。 1950年鈴本演芸場の近くに講談定席「本牧亭」を復活。釈場と呼ばれる講談専門の演芸場として唯一の存在であったが,講談人口の減少とともに昼間は講談定席,夜は落語,義太夫,奇術などの貸席という形をとって興行を維持。 72年 11月に改築されたが,90年1月 10日を最後に閉場。名前だけが残されて,92年池之端の料理屋2階に貸席として復活した。

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