本牧(読み)ほんもく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本牧」の意味・わかりやすい解説

本牧
ほんもく

横浜市中区東部の一地区。ほぼ中央に東西方向に根岸台、緑ヶ丘などの台地が広がり、臨海部はほとんどが埋立地である。1854年(安政1)にペリーの率いる軍艦が神奈川沖に来泊した際、江戸湾防衛の一環としてここの八王子鼻十二支天(じゅうにしてん)の台地に見張番所が、海岸に陣屋が建てられた。旧三之谷に実業家原富太郎によって三渓園(さんけいえん)がつくられ(1906年開園)、京都その他から諸古建築が移築された。1911年(明治44)には横浜電気鉄道(旧、市電)が開通、花屋敷もできて本牧は行楽地となり、夏は海水浴場としてにぎわった。第二次世界大戦後は市内最大の米軍接収地域、そしてハウス地域とされていた。また海面根岸湾開発地域の一環として大規模に埋め立てられ、本牧埠頭(ふとう)のほか石油化学などの工場進出が多く、本牧市民公園も設けられている。1989年(平成1)に本牧埠頭と対岸鶴見(つるみ)区大黒(だいこく)埠頭の間に横浜ベイブリッジが架けられた。根岸台はもと牧場(乳牛)、競馬場で知られていたが、現在は根岸森林公園となっている。

[浅香幸雄]


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改訂新版 世界大百科事典 「本牧」の意味・わかりやすい解説

本牧 (ほんもく)

横浜市の臨海部,中区南東部の地名多摩丘陵の東部,下末吉台地の東端東京湾に突出して形成され,横浜港と根岸湾を分ける。かつて臨海部は30~40mの崖で東京湾に接していたが,1963年からの大規模な埋立工事のため,現在は昔のおもかげはない。三の谷にある三渓園は実業家原富太郎によって築造された典型的な日本式庭園として著名である。本牧の地名は南北朝期からみられるが,一般に知られるようになったのは横浜開港後,外人相手のチャブ屋(軽飲食店)が軒を並べていたことによる。第2次大戦の戦災でその姿は一変し,戦後,アメリカ軍の兵舎が建ち並びアメリカ村の様相を呈したが,82年接収は解除された。埋立地には自動車専用埠頭や日本石油三菱重工業の工業用地がある。北に突出した本牧埠頭は横浜港最大の埠頭である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本牧」の意味・わかりやすい解説

本牧
ほんもく

神奈川県東部,横浜市中区東部の地区。横浜港の南に突出する本牧岬の大部分を占め,山手町の南に続く住宅地域である。近年,大規模ショッピングセンターや大型集合住宅が建設されている。海岸は海食崖と砂浜の景勝地であったが,全域に埋立てが進み,1967年本牧埠頭が完成,倉庫や工場の並ぶ臨海商工業地区となった。本牧三之谷には三渓園があり,89年本牧埠頭と鶴見区大黒埠頭を結ぶ横浜ベイブリッジが完成した。

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百科事典マイペディア 「本牧」の意味・わかりやすい解説

本牧【ほんもく】

横浜市区南部の一地区。東京湾に突出する標高30〜40mの台地で,かつては本牧岬があり,海岸は海水浴場であったが,埋立による横浜港本牧埠頭(ふとう)の建設などで一変した。南部に三渓園がある。

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