本興寺(兵庫県)(読み)ほんこうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本興寺(兵庫県)」の意味・わかりやすい解説

本興寺(兵庫県)
ほんこうじ

兵庫県尼崎(あまがさき)市開明町にある法華(ほっけ)宗本門流二大本山の一つ。精進(しょうじん)院と号する。開祖日隆(にちりゅう)は京都本能寺開山でもあり、京都、摂津(大阪府・兵庫県)を中心とする西国での法華宗布教を推し進めた人として有名。1420年(応永27)、摂津国守護細川満元(みつもと)が日隆に帰依(きえ)し、現在の尼崎市東元町に当寺を創建した。以後、日隆は当寺を足場に、兵庫県下だけでも13か寺を開創。1463年(寛正4)に日隆が書いた本能寺法度(はっと)条々では、本能寺と本興寺の両山一寺の制を定めている。その後、本興寺は、伏見宮(ふしみのみや)家など京都公家(くげ)との関係を深め、8世日承(にっしょう)以降代々住職は伏見宮家猶子(ゆうし)となるのを慣例とした。戦国時代には周辺を土居と堀で囲んだ寺内町を形成し、手工業者を集住させて一種の自治都市の景観をなした。1618年(元和4)には尼崎城建設のため現在地に移された。開山堂、三光堂、方丈、木造日隆上人坐像(しょうにんざぞう)、恒次(つねつぐ)銘太刀(たち)は国重要文化財である。

水谷 類]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android