本部半島(読み)もとぶはんとう

日本歴史地名大系 「本部半島」の解説

本部半島
もとぶはんとう

沖縄島北部、東シナ海北西方角に突き出た半島。付根には名護断層によって南北方向に明瞭な地形的境界線が引かれる。半島の北西端は本部もとぶ備瀬びせ崎で北緯二六度四二分三〇秒、東経一二七度五二分四五秒。ほぼ五角形で、長さ(北西―南東方向)約一七キロ、最大幅(北西―南西方向)約一九キロ、面積約一三〇平方キロ。沖縄島最大の半島で、沖縄島の約一一パーセントを占める。沖縄県にみられる主要な地質の大半が分布し、地形も変化に富む。半島は西の満名まんな川河口部から羽地はねじ内海東端の名護市真喜屋まきやを経て沖縄島東海岸(太平洋側)の同市天仁屋てにやに至る真喜屋断層により南北に二分される。

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改訂新版 世界大百科事典 「本部半島」の意味・わかりやすい解説

本部半島 (もとぶはんとう)

沖縄県沖縄島(本島)北部の西海岸に突出した半島。国頭(くにがみ)郡本部町,今帰仁(なきじん)村と名護市の一部に分かれる。半島を構成する地層は,古生代二畳系の本部層と与那覇(よなは)層が主で,本部層は本部石灰岩と呼ばれ,セメントの原料に利用されている。地質学上,半島と主体部は名護断層によって区分される。半島の北部に乙羽(おつぱ)岳(275m),南部に嘉津宇(かづう)岳(452m),八重岳(453m)を中心とする山地が広がり,沿岸部には第四紀の石灰岩からなる海岸段丘が発達する。14世紀の三山時代には,北山(ほくざん)の拠点として今帰仁城を中心に栄えた。山間地の集落の多くは,廃藩前後に無禄士族によって開拓された屋取集落である。現在,低地ではサトウキビ,野菜,花卉が栽培され,半島中央部の本部町伊豆味(いずみ)ではパイナップルやかんきつ類栽培が盛ん。半島の西岸にある沖縄国際海洋博会場跡は国営の記念公園になっている。史跡名所として,今帰仁城跡,源為朝伝説をもつ運天港があり,諸志御嶽(しよしうたき)の植物群落は天然記念物。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本部半島」の意味・わかりやすい解説

本部半島
もとぶはんとう

沖縄県沖縄島北西部,東シナ海に突出した半島。山原(やんばる。→国頭)の一部をなす。本部町今帰仁村名護市に属する。本部層,与那嶺層と呼ばれる古い地層からなり,嘉津宇岳(452m),八重岳(453m)を中心に地塊状の山地をなす。本部町の伊豆味を中心に台地一面はパイナップル畑となっている。半島の先端備瀬崎一帯景観に優れ,1975年国際海洋博覧会の主会場となった。

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