朝日日本歴史人物事典 「本郷房太郎」の解説
本郷房太郎
生年:万延1.1.24(1860.2.15)
明治大正期の陸軍軍人。篠山藩(兵庫県)藩士本郷貫之助とたかの長男。明治8(1875)年豊岡県教員伝習所に入学,9年旧藩主青山家の第2回養育生に選ばれて上京。12年陸軍士官学校卒業後,陸士教官兼生徒隊長として士官教育に携わる。日露戦争(1904~05)には歩兵42連隊長として出征し得利寺,遼陽会戦に参加。次いで38年陸軍省副官兼人事局長兼俘虜情報局長官となり,寺内正毅陸軍大臣を補佐し,ロシア軍捕虜の本国送還,戦後の論功行賞などを行った。ヨーロッパ各国軍の教育機関視察ののち,42年教育総監部本部長となり,軍隊教育令(1913発布)の制定に努めた。軍隊教育を一種の国民教育と位置づけ,精神修養を重んじ,軍隊内各種教育の主眼を定めた大綱である。大正2(1913)年陸軍次官となり,6年青島守備軍司令官として占領地行政を手がけた。翌年大将に進んだ。<参考文献>本郷大将記念事業期成会編『陸軍大将本郷房太郎伝』
(岸本昌也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報