本間四郎三郎(読み)ほんましろうさぶろう

精選版 日本国語大辞典 「本間四郎三郎」の意味・読み・例文・類語

ほんま‐しろうさぶろう【本間四郎三郎】

江戸中・後期豪商。名は光丘。出羽国酒田(山形県酒田市)の人。廻船問屋として巨利を得た。私財を投じて、最上川水利天明飢饉救済、西浜の防砂植林などを行なった功績により藩主から取り立てられ、藩の財政改革にも寄与した。享保一七~享和元年(一七三二‐一八〇一

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デジタル大辞泉 「本間四郎三郎」の意味・読み・例文・類語

ほんま‐しろうさぶろう〔‐シラウサブラウ〕【本間四郎三郎】

[1733~1801]江戸中期の豪商。名は光丘。本間家3代目。庄内藩の酒田で事業に成功し、藩財政に関与。また、私財を投じて最上川治水天明の飢饉ききんの救済を行った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本間四郎三郎」の意味・わかりやすい解説

本間四郎三郎
ほんましろうさぶろう
(1732―1801)

江戸中期の豪商。通称光丘(みつおか)。本間家3代で、1754年(宝暦4)家督を継ぐ。酒田西浜に砂防林をつくり、新田開発を行う。庄内(しょうない)藩、米沢(よねざわ)藩の財政再建に関与し、庄内藩では御小姓(おこしょう)格、郡代並(なみ)に任ぜられた。多額の大名貸を行い、米および内陸大豆青苧(あおそ)などの特産物の取引によって商業資本家となる一方、小作米約1万4000俵に上る大地主本間家としての基礎をつくった。光丘が建てた現存する建造物に、68年(明和5)幕府巡見使宿としてつくられた後の本間家本邸、浄福寺唐門、山王山日枝(ひえ)神社がある。光丘は俳句をつくり、蓬莱山其山(ほうらいさんきさん)と号した。享和(きょうわ)元年6月1日没。酒田市立光丘図書館に光丘(こうきゅう)文庫がある。

[横山昭男]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間四郎三郎」の解説

本間四郎三郎 ほんま-しろうさぶろう

本間光丘(ほんま-みつおか)

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367日誕生日大事典 「本間四郎三郎」の解説

本間四郎三郎 (ほんましろうさぶろう)

生年月日:1732年12月25日
江戸時代中期;後期の大地主;豪商
1801年没

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