札差(読み)ふださし

精選版 日本国語大辞典 「札差」の意味・読み・例文・類語

ふだ‐さし【札差】

〘名〙
宿場問屋場で、荷物の目方を検査した人。〔名語記(1275)〕
② (蔵米受取手形が渡されるとそれに名前を書いて割竹にはさみ、蔵役所のわらづとにさしたところから) 江戸時代、旗本・御家人に代わって蔵米の受取り・販売を行ない、手数料をもらいうけた商人。中期以後、その米を担保として武士階級を相手高利貸業を営むようになり、莫大な富を築いた。大坂の掛屋にあたる。蔵宿。札差宿。宿。
※咄本・近目貫(1773)銭同士「蔵前はなんだ、札さしか」

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デジタル大辞泉 「札差」の意味・読み・例文・類語

ふだ‐さし【札差】

江戸時代、蔵米取りの旗本御家人に対して、蔵米の受け取りや売却を代行して手数料を得ることを業とした商人。取次業の他にその蔵米を担保にして金融業を行い、巨富を畜えた。名の起こりは、蔵米受取人の名を記入した札を蔵役所のわらづとに差したことによる。

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改訂新版 世界大百科事典 「札差」の意味・わかりやすい解説

札差 (ふださし)

近世における江戸の金融商人。蔵米受取手形(札)をわらづとに差す人の意。旗本・御家人に対し蔵米を担保に高利貸付をして財をなし,豪奢な生活ぶりを誇った。浅草蔵前付近の米問屋がその前身で,旗本・御家人に代わって幕府米蔵から俸禄米を受け取り,これを売却して現金化するまでを,100俵につき金3分のわずかな手数料で請け負うのが本業であったが,俸禄米支給手形を武家から前もって預かることから,貸金業務が始まったとみられる。1724年(享保9)に株仲間が認許され,109人で幕臣団への高利貸を独占したことから急速に成長し,江戸富商の典型とさえいわれた。当時の札差の貸付利子率は年18%程度で,市中一般の質屋等より安かったが,札差は公定利子のほか高利,礼金,奥印金,月踊り(二重利子)等,さまざまな不正利殖の道を図った。安永~天明(1772-89)ごろが最盛期で,文字どおり千両株を誇り,〈十八大通(じゆうはちだいつう)〉に代表されるような豪勢な蔵前風の風俗を生み出した。

 しかし旗本・御家人の窮乏も進行したので,幕府は1789年(寛政1)棄捐令(きえんれい)を発布し,札差の債権118万両余を帳消しとし,貸付利子を12%に引き下げた。このためつぶれる者も出るほど経営が悪くなったが,文化・文政時代に繁栄を取り戻した。俳人夏目成美や蔵書家松本幸彦らを生み,大冊の同業組合史(《札差事略》)編纂などにみられる文化史上の功績は,この時期の札差の隆盛が生み出したものと考えられる。だが1841年(天保12)天保改革の一環として株仲間解散となり,43年札差債権の無利子・年賦の強制令が出され,新規の利子も10%に下げられると,半数以上が閉店して金融を拒否するなど対抗の挙に出たが,結局幕府に押しきられた。この後61年(文久1)にも札差は干渉を受けたが,まもなく明治維新となり,官員への給与に蔵米の支給が廃されるとともに,金融の担保を失って札差業そのものが消滅した。近世の都市商業・金融史上あるいは文化史上に果たした役割はきわめて大きい。また領主層の米穀と高利金融の操作という点で,大坂における蔵元,掛屋の大名貸と形態を共通にしているといわれている。
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百科事典マイペディア 「札差」の意味・わかりやすい解説

札差【ふださし】

江戸時代,蔵米取の旗本御家人の代理として蔵米を幕府の浅草蔵から受け取り,米商人への委託販売を行った江戸の金融商人。本来の業務は米100俵につき金3分の手数料をとるものであったが,蔵米を担保とする金融も行い,旗本・御家人の財政窮迫に拍車をかけた。大坂の掛屋蔵元に対応する。巨富をたくわえ,蔵前風といわれる豪奢な風俗を生み出した。旗本・御家人の窮乏が進むと幕府は1789年(寛政1年)棄捐令(きえんれい)を発し,札差の債権118万両を帳消しとし,利率も引き下げたため潰れる店も続出した。しかし,化政期には隆盛を取り戻している。
→関連項目浅草御蔵切米蔵前相場御用商人成美払米

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「札差」の意味・わかりやすい解説

札差
ふださし

蔵米取(くらまいとり)の旗本・御家人(ごけにん)に支給される俸禄(ほうろく)の米を、代理人として受け取り、米屋に売却して現金化することを請け負った江戸浅草の町人。蔵米を担保に高利貸をして財をなし、代表的な富裕商人となった。1724年(享保9)109軒を限る株仲間を認められ、幕府家臣団に対する蔵米の受け払いと、高利金融業を独占した。手数料は蔵米100俵について、受領から売却まで金3分で、1000俵扱っても7両2分にしかならなかったが、貸付金の利子は年18%、1789年(寛政1)には12%、幕末にはさらに下げられたものの、さまざまな不正手段をも交えて、貧窮化した旗本・御家人の財政に吸着し、急速に大富豪となった。

 田沼時代(1767~86)の営業権は千両株といわれ、大坂で大名貸を行った掛屋にも比較されている。その富を基礎にして、市川団十郎ら歌舞伎(かぶき)役者や、俳人小林一茶(いっさ)らへ経済的援助をする者もおり、十八大通を生み出すなど当時の文芸・風俗など江戸町人文化に果たした役割は大きかった。しかし札差の利殖は幕府家臣団の経済的弱体化に通じ、1789年には棄捐令(きえんれい)が発せられ、天保(てんぽう)の改革の際にも札差の高利貸資本に対する厳しい干渉がなされたが、江戸の大町人たる地位は動かなかった。明治維新で蔵米支給制度が廃止されると、札差も急速に没落し、近代的資本に転化した者はほとんどいない。なお甲府にも甲州勤番士を相手に金融業を営んだ札差が常時10人前後いたが、江戸より営業規模は小さかった。

[北原 進]

『扇谷定継編『札差事略』全三冊(1967・創文社)』『北原進著『江戸の札差』(1985・吉川弘文館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「札差」の意味・わかりやすい解説

札差
ふださし

江戸時代,蔵米取 (→蔵米 ) の旗本御家人の代理として,幕府の米蔵から扶持米 (→扶持 ) を受取り換金を請負った商人。札差料は 100俵につき金二分で,手数料はさほどの金額にはならなかったが,扶持米を担保として行う金融によって巨利を得た。江戸時代中期以降,武士は生活が困窮するにつれ札差から高利で多額の借金をするようになり,札差は旗本,御家人の死命を制するにいたった。営業の開始は慶安年間 (1648~52) 頃で,享保9 (1724) 年には株仲間を公許された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「札差」の解説

札差
ふださし

蔵宿(くらやど)とも。江戸時代,幕府の御米蔵がある浅草御蔵前あたりに店舗を構え,旗本・御家人の代理として蔵米(扶持米)を受け取り,それを売却して手数料をえた商人。のちには蔵米を担保として金融を行った。17世紀中頃から始められたようだが,1724年(享保9)7月に109人で株仲間をつくることが公許され,一時期を除いて3組が結成された。札差はわずかな札差料・払米手数料よりも,旗本・御家人に対する金融で莫大な利益をえ,18世紀後半には蔵前風とよばれる通人の風俗も生んだ。しかし,たびたび発令された棄捐令(きえんれい)や利子引下令などでしだいに利益が減少し,維新期に廃絶した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「札差」の解説

札差
ふださし

江戸時代,旗本・御家人の蔵米を受け取り,その換金を請け負った商人
浅草の蔵前に住み,蔵宿ともいう。委託販売の手数料は米100俵につき金3分。のち蔵米を担保に旗本・御家人に金融を行い,江戸中期以後は多額の高利貸付けで旗本・御家人の死命を制するほどになった。

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世界大百科事典(旧版)内の札差の言及

【寛政改革】より

…不正役人を厳罰に処したり,うずもれた人材を抜擢するなど,旗本の人事も大幅に刷新し,諸役人の綱紀を粛正した。また改革政治の実務を担う諸役人が,経済的に困窮していては,再び不正を生む余地が生じるので,彼らの札差からの借金を棒引きにする札差棄捐(きえん)令を発し,旗本の困窮財政の救済をはかった。 大名・旗本に対する幕府の権威回復も,改革の主要な課題であった。…

【猿屋町会所】より

…江戸幕府が設けた札差への資金貸付役所。江戸浅草猿屋町(現,台東区蔵前)に置かれ,札差改正役所ともいう。…

※「札差」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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