朱思本(読み)しゅしほん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱思本」の意味・わかりやすい解説

朱思本
しゅしほん
(1273―?)

中国、元(げん)代の道士、地理学者。江西臨川の人。漢代以来の南方道教の天師道(3世紀初頭以前は五斗米道(ごとべいどう)とよび、元代では正一教とよぶ)の総本山、江西信州の竜虎山(りゅうこざん)に入って道士となった。30歳のころ、大都(北京(ペキン))に駐在する天師道代表の張留孫(ちょうりゅうそん)(1248―1321)に師事し、パスパ死後の大都宗教界を握る張留孫、およびその後継者呉全節を助けて江南道教の統制管理にあたった。その間、中国伝統の五嶽四涜(ごがくしとく)などの名山大川祭祀(さいし)しようとする皇帝の命を受けて各地を周遊し、1331年ごろに南帰して数年後に没したらしい。『貞一斎(ていいっさい)詩文稿』2巻を残す詩文家でもあったが、とくに『輿地図(よちず)』の作製は中国地図学史上に彼の名を不朽にした。10年の歳月を費やしたというこの地図は、完成後竜虎山上清宮(じょうせいきゅう)に刻石されたが現存せず、これを土台に増補改訂した羅洪先(らこうせん)(1504―1564)の『広輿図』によって推測される。縦・横7尺(約2.2メートル)、平面図法を用いるこの図は、清(しん)初イエズス会士による『皇輿全覧図』が出現するまで中国地図の主流となった。

杉山正明 2018年5月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「朱思本」の意味・わかりやすい解説

朱思本 (しゅしほん)
Zhū Sī běn
生没年:1273-?

中国,元代の道士であり地理学者。江西省臨川の人。字は本初。北京で道士としての修行を積み,後に道観の主席となった。詩文に長じ,《貞一斎詩文稿》2巻を残している。しかし,その最大の功績は《輿地図》の作製で,10年の年月を経て完成し,それを石に刻んだ。この刻石も原図も残っていないが,明の1555年(嘉靖34)ごろに刊行された羅洪先の《広輿図》はこれを引きついだもので,《輿地図》の面影を知ることができる。縦横ともに7尺の平面図であった。この平面図法は,中国の地図の主流として,清初にまでつづいた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱思本」の意味・わかりやすい解説

朱思本
しゅしほん
Zhu Si-ben; Chu Ssǔ-pên

[生]至元10(1273)
[没]?
中国,元の道士,地理学者。臨川 (江西省) の人。字は本初。南方道教の本山の竜虎山に入り,道士となる。 30歳前後に大都 (現北京) に上り,玄教大宗師の張留孫に師事,その後継者呉全節を助け,江南道教管理の事に従い,またこの間至大4 (1311) 年から 10年をかけて縦横7尺 (約 2m) の一大地図『輿地図 (よちず) 』を作成,以後 300年以上中国地理学の権威とされた。その原本は現存しないが,明代にこれに基づいて修訂した『広輿図』が現存。詩才も豊かで『貞一斎詩文稿』 (2巻) がある。

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