朴井雄君(読み)えのいのおきみ

朝日日本歴史人物事典 「朴井雄君」の解説

朴井雄君

没年:天武5.6(676)
生年:生年不詳
壬申の乱(672)で活躍した大海人皇子(のちの天武天皇)の舎人。姓は連。物部雄君ともいう。天武1(672)年5月,雄君が私用美濃(岐阜県)に出かけたところ,近江朝廷側が天智天皇山陵を造ると称して,人夫を徴発し武器をもたせて事を起こそうとしている噂を耳にした。大海人は雄君のこの報告を聞いて戦闘決意を固め,これによって壬申の乱は勃発した。死没時,内大紫位が贈られ,物部氏の氏上にもなり,朴井氏が物部氏一族を代表する地位を与えられた。大宝1(701)年7月,子に功封25戸を伝えることを認められた。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』

(狩野久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朴井雄君」の解説

朴井雄君 えのいの-おきみ

物部雄君(もののべの-おきみ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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