李富春(読み)りふしゅん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李富春」の意味・わかりやすい解説

李富春
りふしゅん / リーフーチュン
(1900―1975)

中国の政治家。湖南(こなん)省長沙(ちょうさ)市生まれ。1919年苦学生としてフランスに渡る。1921年共産主義青年団に入り、1922年中国共産党フランス支部に入党。1925年帰国。1931年江西(こうせい)省党委員会書記としてゲリラ活動を指導。1934年紅軍総政治部副主任。長征に参加。1944年延安(えんあん)で中国共産党中央副書記。1945年党中央委員。1949年5月東北人民政府副主席。同年10月新政府重工業相となる。1954年副首相、国家計画委員会主任。1956年政治局員。1958年中央書記。1966年には政治局常務委員となったが、「文化大革命」でその経済政策を批判され、1969年、1973年とも中央委員に選出されるにとどまった。1972年副首相として復活。1975年現職のまま病死した。夫人革命家蔡暢(さいちょう)。

[高市恵之助・渋谷 司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李富春」の意味・わかりやすい解説

李富春
りふしゅん
Li Fu-chun

[生]光緒26(1900).湖南,長沙
[没]1975.1.9. 北京
中国の政治家。フランス留学苦学生団の一員として渡仏し,1922年中国共産党フランス支部に参加。 23年蔡暢と結婚,24年帰国した。北伐の際は第2軍政治部主任。長征に参加し,45年の七全大会で党中央委員。 54年以来,国務院副総理兼国家計画委員会主任,56年の八全大会で党中央委員,中央政治局委員となった。 50年代の五ヵ年計画の策定実行,対ソ連交渉,60年代初めの調整政策の策定などに貢献した。文化大革命で批判され,69年の九全大会では中央委員に再選されたが,中央政治局委員には再選されなかった。党内では主として財政,経済部門の専門家として活動。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android