李雄(読み)りゆう(英語表記)Lǐ Xióng

改訂新版 世界大百科事典 「李雄」の意味・わかりやすい解説

李雄 (りゆう)
Lǐ Xióng
生没年:274-334

中国,氐(てい)族の首領(成漢)の初代皇帝。西晋末巴蜀地方に自立した父の李特叔父の李流のあとをうけて益州牧を自称し,西晋軍を破って成都を占拠した。304年(建興1)成都王を称して官制を建て,306年(晏平1)には青城山の天師道の道士范長生(?-318)の宗教的権威を支えとして帝位についた。その政治は宗室の合議を重んじ,法律の簡素化,賦税の軽減に意を用いた。また文教の振興を図り,李雄自身も読書につとめた。かねてから天下を征服するのが本意ではないと言い,東晋政権とも通交した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李雄」の意味・わかりやすい解説

李雄
りゆう
Li Xiong; Li Hsiung

[生]泰始10(274)
[没]玉衡24(334)
中国,五胡十六国の漢 (成漢) の第3代皇帝 (在位 303~334) 。字は仲儁。廟号は太宗。 (てい) 族の強豪李特の子。李特の死後その跡を継ぎ,晋の益州刺史羅尚を成都から追った。晏平1 (306) 年皇帝の位につき,国号を大成といった。のちその版図を広め,巴蜀に君臨した。漢人范長生の補佐を得て善政をしいたので漢民族もその施政を喜んだが,軍隊統制が行届かず,その死後,内乱が生じ,一族の李寿が立って国号を漢と改めた。

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世界大百科事典(旧版)内の李雄の言及

【成】より

…西晋時代,飢餓に苦しむ関中方面の(てい)族は故郷の漢水地方に流れこんだが,これを指導する李特は,西晋の内乱に乗じて四川地方を占拠した。以後李氏一族がこの地方の覇権を握り,李特の子李雄は道士范長生を政治顧問として成都で帝位に就き,国号を大成と称した。のち第4代李寿がこれを漢と改めた。…

※「李雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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