村上氏(瀬戸内)(読み)むらかみうじ

世界大百科事典(旧版)内の村上氏(瀬戸内)の言及

【伊予国】より

…また芸予諸島を中心とする瀬戸内海域では,村上水軍を中心とする海賊衆の活躍が見られた。村上氏は南北朝期から姿を見せはじめるが,その活躍の最もめざましいのは戦国期である。彼らは,伊予能島(のしま)(越智郡宮窪町),来島(くるしま)(今治市),備後因島(いんのしま)(広島県因島市)の3家に分かれて三島(さんとう)村上氏と総称されたが,互いに強固な同族意識で結ばれていた。…

【因島】より

…かつて主産物であった除虫菊は,今は栽培農家がない。荘園時代は塩の特産地として重視され,室町~戦国時代は村上水軍の根拠地となっていたので,その城跡をはじめ金蓮(こんれん)寺や法楽踊,水軍太鼓など村上氏ゆかりの文化財が多い。海運業は江戸時代を通じて盛んだったが,明治に入ると衰微した。…

【水軍】より

…海上における武装集団。海賊衆,警固衆などを指すこともあるが,彼らが大名権力に組織された状態をいうことが多い。海上交通の拠点となる沿岸島嶼に跋扈(ばつこ)し,荘園年貢などを輸送する船の警護役を務めて駄別料を取り立てたり,関所を設けて通行税を徴収したりするほか,ときには往来の船を襲って積荷を略奪するなど乱暴を働いた。瀬戸内海から九州地方にかけての海賊衆は,みずから朝鮮貿易に参加することもあり,また倭寇として朝鮮,中国沿岸を荒らし,人々から恐れられる存在であった。…

【瀬戸内海】より

…しかしこれに続く南北朝内乱の前半期には瀬戸内の各地に南朝方の勢力が盛んで,ことに海上勢力はむしろ南朝方が優勢であった。阿波の伊島や淡路の沼島に拠った安宅(あたぎ∥あたか)氏,阿波の舞子島,野々島の四宮氏,小豆島の飽浦(あくら)氏,佐々木氏,塩飽(しわく)諸島の塩飽氏,伊予の能島(のしま),来島(くるしま)と備後因島(いんのしま)の三島村上氏,伊予の忽那七島の忽那氏などは南朝方海上勢力であった。なかでも征西将軍宮懐良(かねよし)親王の九州下向に当たり,忽那義範は1339年(延元4∥暦応2)これを忽那本島の館に迎え,その3ヵ年の滞在中,伊予の南軍の勢いは大いに振るった。…

【村上水軍】より

…南北朝時代より芸予諸島に拠って瀬戸内海の制海権を握り,海賊的行為のほか日常は豊富な海上輸送の通行料をとる警固衆として活動した。一族は伊予の能島(のしま),来島(くるしま),備後の因島を拠点とする3家に分かれて三島村上氏と呼ばれ,伊予の河野氏に属したが,自立的性格が強かった。戦国時代には来島通康が河野通直の女婿として河野家中に重きをなしたほか,能島武吉,因島吉充が活躍した。…

※「村上氏(瀬戸内)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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