村上随憲(読み)むらかみ ずいけん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上随憲」の解説

村上随憲 むらかみ-ずいけん

1798-1865 江戸時代後期の医師。
寛政10年2月12日生まれ。江戸で吉田長淑(ちょうしゅく)に蘭方をまなび,長崎シーボルトの門にはいる。文政7年上野(こうずけ)(群馬県)境町開業。かたわら私塾をひらいて子弟を教育,金井烏洲,高野長英らとまじわった。慶応元年11月10日死去。68歳。武蔵(むさし)大里郡(埼玉県)出身。名は憲。通称は広籌。別号に櫟園。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の村上随憲の言及

【上野国】より

…このほか養蚕指導書《蚕養育手鑑》(1712)を著した馬場重久や渋川の吉田芝渓など農学の先達があり,関孝和が出たので和算も盛んであった。蘭医学では種痘の村上随憲,帝王切開を創始した伊古田純道,脱獄した高野長英をかくまった福田宗禎らをあげることができる。宗教の面では徳川家康が新田義重の菩提のため太田に大光院を開き,世良田の長楽寺に天海を派遣するなど,みずからの遠祖と称する新田徳川氏の供養につとめ,また前橋妙安寺から親鸞木像を東本願寺に遷座させた。…

※「村上随憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android