世界大百科事典(旧版)内の杜恕の言及
【杜預】より
…杜陵(陝西省西安の南東)の人。若くして学問を好み,群書を博覧した彼は,ことに父祖伝来の家学,《春秋左氏伝》の研究に打ちこみ,28歳のとき父の杜恕(とじよ)(198‐252)が権力者の司馬懿(しばい)ににらまれて爵位剝奪のうえ流刑に処せられて以後の苦節の8年間に,その新しい左伝研究の基礎を作ったと思われる。257年(甘露2),36歳で初めて官界に出仕してからは,律令の制定,官吏の勤務評定法の作成,華北西部の異民族の反乱平定をはじめ,大蔵大臣の役をつとめては有効な経済政策を実施して成功した。…
※「杜恕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」